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2014.10.17 オリンピック

スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク

スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
1964年大会の開会式からちょうど50年目に開催されたスペシャルトークショー(写真:フォート・キシモト)
スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
息の合った掛け合いでこの日もトークショーを盛り上げた宮下さんと荻原さん(写真:フォート・キシモト)

 日本オリンピック委員会(JOC)は、東京都、一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と共同で、「1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク」を2014年10月6日(月)より12日(日)まで開催しました。

 1964年東京オリンピックの開会式からちょうど50年目となる10月10日(金)は「スペシャルトークショー(1964to2020)」が二部制で行われました。第一部は荻原次晴さん(スキー・ノルディック複合)、宮下純一さん(競泳)が司会を務め、「アスリートトークショー」完結編として、歴代オリンピアン・パラリンピアンがそれぞれの熱い思いがこもったトークを繰り広げました。

 今回のゲストは、オリンピアンの小野清子さん(体操競技/1964年東京オリンピック 女子団体銅メダル)、三宅義行さん(ウエイトリフティング/1968年メキシコシティオリンピック フェザー級銅メダル)、大林素子さん(バレーボール/1988年ソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタオリンピック出場)、上村愛子さん(スキー・フリースタイル/1998年長野から2014年ソチオリンピックまで5大会連続出場)とパラリンピアンの大日方邦子さん(アルペンスキー/1994年リレハンメルから2010年バンクーバーパラリンピックまで5大会連続出場)。オリンピックに懸けた現役時代の思いや、2020年東京オリンピック・パラリンピックを目指すアスリートへのメッセージを語りました。

スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
小野さんは「母」と「選手」を両立させてオリンピックのメダルを手にした裏話を披露(写真:フォート・キシモト)

<トークショー要旨>

■50年前の思い出

宮下さん 小野さん、きょう10月10日は1964年東京オリンピック開会式が行われた日ですが、記憶がよみがえりますね。

小野さん (競技場の)中に入れない人でね、沿道がびっしりだったの。暗くて静かなガードを通って、会場の中に入っていったら「ワー!」という歓声がね。あとはもう、地に足が着いていない感覚で一周しました。

荻原さん 緊張してですか?

小野さん いや、感動して。

宮下さん 先日のトークショーでは、開会式で行進した君原(健二/陸上競技)さんも早田(卓次/体操競技)さんも、ゲートを抜けたあとのどよめきがすごくて、背筋がゾクっとしたとおっしゃっていました。

荻原さん 三宅さんはお兄様が東京オリンピックの金メダリストですよね。

三宅さん そうです。ちょうど私が18歳で、兄が24歳でした。

宮下さん 会場に行かれて応援されたんですよね。

三宅さん はい、実は試合会場のウォーミングアップ場に入れたんです。顔が似ているので、赤に白地の「日本」と書いたジャージを着たら誰も分からなかった(笑)。

荻原さん 大日方さん、50年前の東京オリンピックについて、見たことのある映像や、覚えているシーンとかあります?

大日方さん やっぱり聖火の最終ランナーが点火する映像がすごく印象的ですよね。かっこいいなあと思って。それから、昔は入場行進も皆さんものすごくきれいに歩いていましたね。

小野さん あれは行進の練習をして臨んだんですよ。

荻原さん 愛子さん、今って行進の練習します?

上村さん 全くないですね。

大林さん ソウルオリンピックくらいまでは、ちゃんと並んで、列を乱さないようにすごく言われました。

■小野さん、母として臨んだオリンピック

宮下さん さて、今週の「東京オリンピック・パラリンピック50周年ウィーク アスリートトークショー」では、3日間で8名の歴代オリンピアンに来ていただいて、皆さんに「あなたにとって、スポーツとは何ですか?」と同じ質問をぶつけました。みなさんの答えはいかがでしょうか。

小野さん 私は「自分を最も楽しませてくれる、夢の力」と書かせていただきました。
 東京オリンピックには、まさか私が挑戦するとは思ってもいなかったんです。子どもが2人おりましたから。大学で練習すると周りの人に迷惑が掛かるので、国立競技場のサブ体育館の中で、たった一人で娘を連れて練習しました。でも、それが夢の実現につながったと思います。

荻原さん どちらかというと精神という時代だったと思いますし、戦後ということで今の選手たちとはまた違う何かを背負っていたんじゃないかなと感じるんですが。

小野さん 好きな体操で日本で開催するオリンピックに出させていただけるなら、こんなうれしいことはないと思っていました。子どもがいようといまいと成績を取らなければ出してもらえないですし、「子どもがいるから出られませんでした」とは言いたくない。私にとっては、(オリンピック出場は)“私に対する挑戦”だったんです。

宮下さん 質問への回答は「自分を楽しませてくれる」とのことでした。観戦する人を喜ばせるということもありますが、自分が楽しめたということでしょうか。

小野さん 目標があって、そこに到達して初めて楽しいんです。だから、子どもがいようといまいと、自分がやりたい練習をやれて、それが成績として成果が上がったということになれば、こんなに楽しいことはないなと。今またあらためてそう思います。

スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
いまは指導者として2020年を見据える三宅さん(写真:フォート・キシモト)
スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
オリンピック選手を目指した原動力を語る大林さん(写真:フォート・キシモト)

■スポーツとは「未来への挑戦」と三宅さん

宮下さん 競技は好きじゃないと続けられないですよね。「自分を楽しませてくれるもの」という言葉に表れていますね。では続きまして、三宅さんお願いします。

三宅さん 私は「未来への挑戦」です。常にチャレンジですね。今は女子のナショナルチームの監督をしていて、みんな10代、20代ですから、毎日新しいことばかりで。夢に向かって挑戦ということで「未来への挑戦」にしました。
 この競技は今日できたことが明日もできる保証がないので、毎日毎日、挑戦し続けるしかないんです。毎日の積み重ねが、4年に一度の晴れ舞台にぶつかったらいいなと思うんですが、それがなかなかぶつからないんですよね。どこかでずれてしまったり。だから、毎日毎日が挑戦、新しい未来に向かって進むしかないんです。希望と夢がなかったら継続できないと思います。でも、それで元気ももらえるし、自分でも頑張らなきゃいけないなと思いますし、すべて人生が挑戦です。そんな形でこれから先もいきたいなと思います。

荻原さん 三宅さんの今の挑戦は、お嬢様(三宅宏実選手/2012年ロンドンオリンピック 女子48キロ級銀メダル)をまたメダリストにすることですか?

三宅さん お、よく分かりますねぇ(笑)。あと2年ですが、この競技で1回メダルを取っただけではまだメジャーになれないので、2回取れたらメジャーの仲間入りをするんじゃないかと。そういう思いがあるので、是非2016年のオリンピックで取らせたいと。それが2020年にもつながると思います。

宮下さん 重量挙げは、ワンプレート上げるのも相当成長しないと挙げられないですよね。非常にきつい競技だなと思います。

三宅さん だから、1キロ挙げられたらすごくうれしいんですよ。でも、挙げた瞬間から、次の1キロが壁になる。だから、毎日が壁との戦いです。とめどなく重なっている壁を突き破るしかないんです。

荻原さん ウェイトリフティングは人生そのものですね。

宮下さん 1つ1つプレートを重ねていきながら、自分の成長が見て分かるわけですからね。

大林さん 体型、体重が当時からずっと変わっていないらしいですよ。

三宅さん はい、50年間体重を維持しています。やっぱり、指導者が丸々と太っていたら……。自分ができないことを選手に教えることはできないですよ。自分から襟を正していかないと。今の子たちは頭が良くて出来がいいですから、ちゃんとしないとばかにされますよ(笑)。

宮下さん さて、大林さんには丸の内(のトークショー)でも伺いましたが、もう一度今日いらしている皆さんに教えていただきたいのですが。

大林さん 私は「生命線」です。自分自身が大林素子であるためにとても必要だったのがスポーツでした。
 子供の頃、私はいじめに遭っていました。背が大きいのをからかわれて。そのとき、『アタックNo.1』というバレーボールのテレビアニメを見て「身長を生かせるスポーツがあったんだ」と思ったんです。私がオリンピック選手になって活躍できたら、私をいじめていた4人組をギャフンと言わせられる。そう思って一生懸命オリンピックを目指していました。でも、やり始めたら最高に楽しかった。最終的にオリンピックに出ることができたときに、私をいじめていた彼らと再会したら、「大林、サインくれよ」って。「よーし!」と思って、そこで握手をして、和解しました。それからは応援してくれる仲間になったんです。私の中ではそれがなければバレーとも出合わなかったし、自分のコンプレックスを武器にできたという意味では、バレーが生命線かなって思います。

スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
ソチオリンピックでの笑顔が記憶に新しい上村さん。各大会は常に達成感があったと明かした(写真:フォート・キシモト)
スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
パラリンピックで10個のメダルを獲得している大日方さん(写真:フォート・キシモト)

■オリンピック5大会連続出場の上村さん、その原動力は?

荻原さん さあ、続いて愛子さんお願いします。

上村さん 私は「爽やかな達成感の連続」です。スポーツはスタートとゴールが絶対にあるものばかりなので、始めたら最後にはゴールがあって、毎回どんな順番でも自分の中での達成感は感じることができました。毎回、爽やかなものを感じられたかなと思います。
 スポーツ選手ではあるんですけど、一人の人間としてスポーツが大好き。オリンピックという大舞台に5大会出させてもらいましたが、なかなかメダルには行き着けなくて、すごく残念でした。でも、毎回毎回、4年間やってきたものの達成感を感じて、次の4年間も頑張ろうという目標を持てました。連続で(競技を)続けることができたのは、その達成感があったからだと思います。

大林さん (上村さんが18歳で初出場した)長野オリンピックは現場に行って、見ていました。インタビューさせてもらいましたが、その頃と本当に見た目が変わらない。常にキラキラしているし。ただ当時はちょっとつっぱっているような雰囲気もあって、すごく喋りかけにくかった。そこから、いろいろな経験をしてすごく柔らかくなっていく成長を見て。なんか親みたいな感じですけど、偉大な選手だなと本当に尊敬しています。

荻原さん 達成感を繰り返すことによって、人柄も変わっていくんですかね。自分ではどう思いますか?

上村さん そうですね。長野のときは楽しくてしょうがないという気持ちが大きかったんですけど、一方で緊張はしていました。一生懸命に集中して、怖いオーラをまとおうとしていたというか。でも、出場5大会目のソチオリンピックはまったくそういうものがなくなって、自分らしいモーグルができました。5大会挑戦することによって、いろいろなアプローチの仕方でオリンピックを目指して、自分の中でのいろいろな変化を感じることができました。

宮下さん うらやましいですね。5大会もオリンピックに出られるって。

上村さん でも、やっぱりメダルを取りたかったです(笑)。

荻原さん では、パラリンピックでメダル10個を獲得されている大日方さんは?

大日方さん 「自分らしさ」と書きました。良いところも悪いところも、スポーツでは全部素が出るという感じがしています。試合のときも、自分の良いところが上手く出れば期待している結果が出ますけどそれがなかなか難しい。

荻原さん 大日方さんはいつも堂々としている印象です。緊張することはありますか?

大日方さん すごく緊張するタイプで、スタートの時とかはずっと小刻みに震えています。どうすればいつも通り滑れるかというところとの戦いで。以前は、“100パーセントの(力を出したときの)自分”に期待して、いつも通り滑ればいいんだと思っていましたが、今は「いつも通り」ではなくて「いつも以下」でもいいように練習しようと思っています。

宮下さん 10個のメダルを取られていますが、どこに保管されているんですか?

大日方さん いくつかのメダルは、講演などで子どもたちに触ってもらえるように持っています。すごく傷だらけになってしまいますけど(笑)。でも、皆さんに触ってもらうことがすごくうれしいです。

宮下さん 僕も講演に行くとメダルを触ってもらいますけど、傷の数が増えるたびに応援されている証しだと思えてうれしいですね。

スペシャルトークショーに小野清子さん、上村愛子さんらが出演=1964東京オリンピック・パラリンピック50周年記念ウィーク
壇上のオリンピアン、パラリンピアンが未来のアスリートにメッセージ(写真:フォート・キシモト)

■未来のアスリートへメッセージ

宮下さん さて、6年後の東京オリンピック・パラリンピックを目指す未来のアスリートたちに、みなさんから一言ずついただければと思います。まず、大日方さんからお願いします。パラリンピアンも期待される選手も多いと思いますが。

大日方さん そうですね。選手たちには自分の可能性を信じて自信を持って、2020年に楽しめるように競技してもらいたいと思います。後悔しないように6年間準備を重ねていってもらうことが、2020年のオリンピックでスタート地点に立った時の、自分の自信につながると思います。

宮下さん どうやったら楽しめますかね? それが一番難しいことだと思いますが。

大日方さん 自分が(オリンピックで)その瞬間を楽しんでいたかと思うと、すごく緊張しているだけだったと思います。でも、失敗しても成功しても、そのときに得られたものが力になっていくということを知ることができたので、長く続けられたんだと思います。少しだけ余裕を残しておくというのも楽しめる秘訣かなと思います。

荻原さん では、愛子さんは?

上村さん 今、目の前にあるクリアしたい課題とか、この技術を手に入れて強くなりたいとか、そういう目標を積み重ねていくことがオリンピックにつながると思います。

大林さん 私はバレーボールを本格的に始めて7年でオリンピックにいけたんですね。だから子どもたちには「7年あればいけるよー」って言いたいです。時間はあるんですよ! 自分の限界を決めないでどんどん挑戦してほしい。選手時代の同期の子どもたちが今、代表に入っているのでその子たちに頑張ってもらいたいとも思いますね。それから、私はオリンピックに3回出場しましたがメダルを取れなかったので、金メダルを見て触ったことがないんです。(6年後の東京オリンピックでは)男女バレーに頑張ってもらって金メダルを取る瞬間に関われて、金メダルを触ってかじらせてもらいたいです(笑)。そのためのサポートをいろいろなところでしていきたいと思います。

三宅さん 私は大きな夢と目標を持って進んでもらいたいし、やればできると自分を信じてやってもらいたいと思います。今の中学生、高校生が2020年に活躍する姿を見たいですね。

宮下さん 自分の手で育てることもできるお立場にいらっしゃいますね。それを期待してもいいですか?

三宅さん それもありますね。アスリートをたくさん育てて2020年に送り出して、それ以降も続けていいと思うし。まず何より私自身も、自分の体調管理をしっかりやらないとですね。なにしろ、来年大台(70歳)に乗るので頑張りたいと思います。

宮下さん では、最後に小野さん、お願いします。

小野さん 努力したら報われる、その実感をきちんと持ちながら前進してくださいと伝えたいです。それぞれの競技がまたいっそう伸びていくのでないかと期待を持って見ていきたいと思います。
(自分にとってのスポーツは「自分を最も楽しませてくれる、夢の力」と表現したが)「楽しむ」なんて不謹慎だと思う競技者もいます。でも、自分が全力を出し切ったときの喜びを、自分の気持ちの中で満足がいくところを「楽しい」という言葉に変えていけば(いいと思います)。

宮下さん 皆さんの話を聞いていて大事なのは目標、夢を持つことだなと思いました。多くの未来のアスリートに聞いてもらいたい話でしたが、その期待を背負って2020年を目指して頑張ってほしいと思いました。

荻原さん そして、われわれもスポーツ界のOBとして応援しましょう。

宮下さん そうですね。盛り上げていきたいと思います。みなさん貴重なお話をありがとうございました!

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