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アマチュアスポーツの良心・清川正二氏死去

元IOC副会長・清川正二氏が4月13日午前4時3分、すい臓がんのため亡くなった。86歳だった。

 清川氏は1932年のロサンゼルス・オリンピックに19歳で参加、背泳ぎ100mで優勝し、2位入江稔夫、3位河津憲太郎両氏とともにメダルを独占した。36年ベルリン大会でも同種目で銅メダルを獲得。また、第2次世界大戦直後から約7年間にわたって日本代表チームのヘッドコーチを務め「フジヤマのトビウオ」古橋廣之進氏らを率いて、国民に活力を与えた。

 国際水泳連盟名誉主事などを務めた後、69年にIOC委員に就任。75年には理事に就任。東西冷戦構造のなかでボイコットに揺れた80年モスクワ・オリンピックでは、政治の介入を阻みIOC憲章に則って参加すべきだ、と日本のボイコットに強く反対する硬骨漢ぶりを示した。

 IOC副会長を務めた1983年までの4年間は「プロへのオープン化」という難問に直面しながらも「理想と現実の妥協点をどこに見だすかだ」と抵抗し続けた。

 ブランデージ、キラニン、サマランチと3代の会長に接し、オリンピックが商業主義によって肥大化するさまをつぶさに見てきた。その中で商業主義の行き過ぎ、オリンピックの肥大化を危惧するなど、今日の腐敗を早くから予見していた。

 アマチュアリズムが厳格に生きていた時代に選手として活躍した清川氏は、日本のスポーツ界にとっては晩年まで「御意見番」として頼られる貴重な存在だった。名古屋がオリンピックに立候補した81年のIOC総会では対抗馬のソウルの派手な招致活動に対し「IOC委員は高潔な人々。過剰な接待はかえって反感を買う」と名古屋招致関係者にブレーキをかけたというのは有名な話。

 死去直前まで、気に掛けていた一連のIOCの買収スキャンダルに心を痛めていたが、IOCの信用回復に向けて3月に行われた臨時総会は、委員会就任以来初めて欠席。古き良き時代のオリンピアンは、IOCの改革を見届けずに亡くなった。

  ご冥福をお祈りする。