試行錯誤する中で得た、新たな手何事も順調にうまくいくより、素晴らしいですね。坂本選手は、世界選手権を3連覇するなど世界を代表するフィギュアスケーターとなりました。それでもオリンピックは特別な大会と感じるのでしょうか。坂本 4年に1度のオリンピックのためにこの3年間頑張ってきたといっても過言ではありません。これまで2大会に出場させていただきましたが、それぞれその大会ごとに目標が全く違いました。最初はオリンピックに出られただけでうれしかったのですが、出るたびに欲が出てきます。次こそは、真剣にメダルを目指して取り組みたいと思っています。前回大会である北京2022冬季―――た――8の親世代から注目されやすい競技で、オリンピックでは、団体で銀メダル、そして女子シングルで銅メダルと2個のメダルを獲得されました。メダルをとる前ととった後で、何か変化はあったのでしょうか。坂本 フィギュアスケートは、私たち同世代の若者たちの層はファンが多くないというのが実情です。それでも、通っていた大学で、オリンピックでメダルをとってからは「坂本や!」と気づいてもらうことが増えたのはうれしかったです(笑)。年齢が近い層の方々からの認知度が上がったと感じています。かったというのもあったのですが、こういう経験がオリンピック直前にできたことは、良い経験と自信になりました。結果としてはそこまで良くなかったようにも見えると思うのですが、私にとっては新たに経験できたことも含めてとても良いシーズンでした。応えや課題もありましたか。坂本 行き詰まることもあった方が、より頭を使います。あの時はこうしたら良かったという経験がどんどん増えて、いざオリンピックシーズンとなった時にも、力になる材料が増えた感じはします。人の練習量なのか」とびっくりしたんです。ずっと知子ちゃんの曲が流れているというくらい、本当に何回も繰り返し練習していて、自分の中に落とし込めるまでやり抜くところを見て、私だけでなく中野園子先生も驚いていました。これだけやらないとトップにはいけないと分かってからは、練習の量を増やし、内容も濃くなっていきまし。―やはりそれだけ練習量が必要だということですね。坂本 はい、その時は量が重要でしたね。私もまだ17歳くらいでしたし、やればやるほど良くなる時期でしたので、ただひたすら練習をしていました。宮原知子選手からの学びこれだけの成績が出せるようになったことについては、どのように分析していますか。坂本 試合で大きなミスもなく滑るということは、簡単そうに見えて難しいことです。しかも、それが1試合だけではなく何試合も積み重ねることでこの成績を収めることができていると思います。一発勝負というより蓄積が大切になりますし、そこが私の強みでもあるので、絶対に大切にしなくてはいけない要素だと感じています。振り返ってみて、自分の中でターニングポイントになったと感じることはありますか。坂本 平昌2018冬季オリンピックのシーズンがきっかけだったと思います。当時トップを走っていたのが宮原知子選手で、周りからも「ミスパーフェクト」と呼ばれていたように、本当にミスをしない選手でした。このシーズンから私もシニアの試合に参加するようになったのですが、拠点も違うので、なかなか一緒に練習する機会がありませんでした。そうした中で、2017年のスケートアメリカで、ありがたいことに一緒に試合に出ることになり、初めて練習を目の当たりにした時に「これがミスパーフェクトといわれるMATSUO.K/AFLO SPORTYUTAKA/AFLO SPORT
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