OLYMPIAN2018
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27ロンドンオリンピックは選手として出ようと思っていましたが、16年はメディアの立場で参加し、20年は開催地に関係なく運営として参加したいと思っていました。そして、そのためにはマネジメントやマーケティングを勉強した方がいいなと。——平昌オリンピックをご覧になって、東京2020大会に向けた気づきはありましたか。伊藤 開会式を見ていて、もっと日本人や日本文化を押し出してもいいのかなと思いました。一方で、もう少し英語があるといいですよね。韓国では英語を話せる人が少なかったですが、日本でもいろいろな人をもてなすと考えると言語の準備も必要だと感じます。食事も、観客用のレストランでプルコギやジャージャー麺などのメニューを見ながら、日本なら何を出したらいいかなと思いながら食べていました。オリンピックのブランド——JOCのオリンピック・ムーブメントアンバサダーも務めていらっしゃいます。どんな大会にしたいですか。伊藤 (東京オリンピック1000日前企画の)『わたしの参加宣言』では「スポーツの価値、アスリートの価値を証明する大会にする!」と書きました。東京を目指して準備している選手を含めて多くの人が関わりますし、オリンピックに興味がない人に「スポーツって素晴らしい」と思ってほしい。スポーツは、世界中の人とつながるプラットフォームだという新たな概念を浸透させたいですね。オリンピックが終わって「良かった」「感動した」というだけではなく、一人一人の心にスポーツが届いてほしいと思います。日本らしいオリンピックに——13年に東京2020大会開催が決まりました。その瞬間はどこで何をされていましたか。伊藤 大学院の修士論文のために、軽井沢で勉強合宿をしていたんです。テレビで見ていて、(ジャック・)ロゲ前会長が「TOKYO!」と言った瞬間に「やったね!」ってみんなでハイタッチして泣いたことを覚えています。——東京開催が決まった瞬間、20年に自分がどうしているか想像しましたか。伊藤 全く考えていませんでしたが、09年頃から引退後のことは考え始めていました。12年の アスリートの皆さんは全てを出し切ってゴールした時に感じる「ありがとう」という気持ちが大事。きれいごとに感じるかもしれませんが、最終的にはそこに行き着くんですよね。多くの人にオリンピックの価値を理解してもらいたいですし、選手の幸せとして「オリンピックに出て良かったし、その後の人生に生かせる」と思えるように、オリンピアンが輝き続けられる社会にしていきたいです。——まさに「オリンピズム」ですね。伊藤 以前、コーチから「オリンピックは世界中の人が知っているすごいブランドだ」と言われました。アスリート同士はすぐ仲良くなれますし、オリンピアンだというと海外の人でも一気に近くなりますし、オリンピックは確かにすごいブランドです。 パラリンピックもそうなるといいですよね。オリンピック同様に、パラリンピックやパラリンピアンの魅力も伝えていきたいと思っています。※現・水泳・アーティスティックスイミングロンドンオリンピックでは自由形で出場、リレー2種目で入賞を果たした。平昌の「TOKYO 2020 JAPAN HOUSE」内覧会では司会も務めた。PyeongChang to Tokyo Special Interview伊藤 華英(いとう・はなえ)1985年1月18日生まれ。埼玉県出身。2008年日本選手権女子100m背泳ぎで日本記録を樹立。同年北京オリンピック女子100m背泳ぎで8位入賞。12年ロンドンオリンピック女子4×100mリレー7位入賞、4×200mリレーで8位入賞。同年現役引退。13年よりJOCオリンピックふれあいアンバサダー(現・オリンピック・ムーブメントアンバサダー)を務める。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会戦略広報課担当係長。

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