OLYMPIAN2018
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17もので、スマホ上で全部集めると、オリンピック限定のピンバッジがもらえるんですよね。他の大会とは違う特別な雰囲気を感じることができて、本当に楽しかったです。挑戦者として戦う——モーグルを始めたきっかけは。原 小学6年の時に、モーグルコースに入ってみたら、楽しくてかっこいいなと。しかも、オリンピック競技だと知って始めました。中学生の時はまだ楽しんでいたのですが、高校生でカナダに単身でスキー留学をしてからは苦労の連続でした。まさか、こんなに苦痛に感じるスポーツになるとは思わなかったです(苦笑)。——そういった苦労を今振り返るとどんな気持ちですか。原 オリンピックの舞台で滑り終え、顔を上げ、今までのことを思い出していました。何が一番つらかったのか分かりませんが、これまでの思いがあふれて涙が出そうになりました。メダルをとって、久しぶりにモーグルを始めた頃の楽しい感情を思い出せました。——つらい思いをしながらも競技を続けてこられた理由は何でしょうか。原 オリンピックで金メダルをとるためです。「オリンピックに出ていないのに、やめるわけにはいかない」といつも思っていました。——今回の銅メダルが、今後の競技人生に与える影響は。原 あまり変わらないんじゃないですかね。銅メダルをとりましたが、世界王者の堀島行真選手がすぐ隣にいますし、絶対王者と言われるミカエル・キングスベリー選手(カナダ)もいます。僕はずっと挑戦者でいるのかなと。来季はまず、ワールドカップで優勝したいです。 心から楽しめた大舞台——初めてのオリンピックでメダルを獲得した率直な感想を教えてください。原 ただただうれしくて、それ以上の言葉が見つかりません。オリンピックは想像以上に規模が大きい4年に1度の大舞台で、みんなの願いや思いの詰まった特別な大会でした。観客は多かったですが、オリンピック独特の「魔物」を感じることもなく、雰囲気をすごく楽しめました。なぜか、失敗する気はしなかったですね。——これまで、ワールドカップでも4位が最高で、平昌オリンピックでの銅メダルが世界大会初の表彰台でした。原 今回のチーム内で、表彰台経験がないのが僕一人だけだったので、タイトルをとれたことはすごくうれしかったです。課題だったエアも成功して、「ちりも積もれば山となる」というように、努力が報われたと思いました。——他競技の選手との交流や選手村での生活など、競技以外で感じたオリンピックならではの魅力などはありますか。原 ピンバッジ集めです。バッジがもらえるスマートフォンアプリがあって、たくさん集まりました(笑)。バッジの場所が表示され、その場所まで行くと質問が表示され、それに答えるとバッジをゲットできるというような苦労が報われた瞬間平昌オリンピックでは、日本代表選手団メダル第1号となった原大智選手。ワールドカップでは表彰台の経験もなかった20歳の新鋭が、初の大舞台で日本男子モーグル界に初のメダルをもたらす快挙を達成した。競技を始めたきっかけから今後の目標までを聞いた。原 大智(はら・だいち)1997年3月4日生まれ。東京都出身。小学6年でモーグルを始める。中学卒業後、単身でカナダに渡り、競技に打ち込む。2017年札幌アジア大会では銀メダル獲得。18年平昌オリンピックではモーグル日本男子初のメダル獲得の快挙を達成。日本大学所属。 DAICHI HARA原 大智スキー・フリースタイル男子モーグル 銅メダルText/編集部 Photo/REUTERS/AFLO、AFLO SPORT

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