OLYMPIAN2018
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14度の技にもチャレンジできたとはいえ、「もう少し高さを出しておけば」という悔しさはあります。4年後に向けては、もっと前から準備して「もう練習しなくても勝てる」という状況をつくり出したいですね。オリンピックとの対峙——ショーン・ホワイト選手(アメリカ)やスコッティ・ジェームズ選手(オーストラリア)ら、ライバルの存在はどう受け止めていますか。平野 今、その2人が本当にトップ2だと思っています。平昌オリンピックではショーンが勝ちましたが、自分も含めて常に3人で争っていて、レベルの高い技を繰り広げている感覚はあります。上を目指せるのは誰かがいるからということもあるので彼らに感謝したいです。——15歳でオリンピックメダリストになり、若くしてスノーボード界のトップの一人となったプレッシャーはありますか。平野 周りに影響を与える人になりたいですし、それには、それだけの説得力がある滑りをしないといけない。誰もやっていないことにチャレンジするのはすごく勇気がいることですが、そう考えてオリンピックにも出ています。——平野選手にとってオリンピックとは。平野 オリンピックは多くの国・地域の人たちが見ている舞台。プロの大会と比べても、スノーボードを知らない人に知ってもらうことや、夢を持ってもらうこと、影響を与えることなど、自分を披露するには一番大きい大会だと思います。スノーボードは自分のプライドやスタイルも大切。難しいことですが、プロの大会と両立させて「魅せる表現者」になりたいと思っています。 人間としての成長——ソチオリンピックに続いての銀メダル獲得でしたが、違いをどう感じていますか。平野 前回は、何も考えずスノーボードをやってきた結果でした。今は常に考えながら行動しているので、感覚がまた全然違います。これまでの4年間は、強いこだわりをもって、命を懸けてリスクを背負ってやってきました。しかもケガもあって、楽しいことより苦しいことの方が多かった。メダルは銀でしたが、自分自身の成長を発見できたのかなと思います。また、周りにいつも以上に感謝を感じる、そういう気持ちにもなりました。——昨年、試合中に大ケガをされました。恐怖心や焦りをどう克服したのですか。平野 「ケガをしている理由が必ずある」と考えて、受け入れていました。考えと滑りを一致させた最強の組み合わせを習得するための時間だと。(リハビリ中に)考えたものを取り入れて練習してきた結果、今はケガをした技を不安なくチャレンジできるようになりました。——決勝ではリラックスしていて、心の余裕が成長として感じられました。平野 「スノーボードがうまくなるためには、強い人間でなければならない」と考えています。決勝では最高難魅せる表現者への道2014年のソチオリンピックでは、冬季の日本選手最年少メダリストとなった平野歩夢選手。17年には大ケガに見舞われたが、平昌オリンピックでは、2大会連続の銀メダルを獲得した。日本のスノーボード界をけん引する弱冠19歳のエースが目指すものとは。平野 歩夢(ひらの・あゆむ)1998年11月29日生まれ。新潟県出身。小学生時代からプロ活動をはじめ、2014年ソチオリンピックでは15歳で銀メダルを獲得。16年には「Xゲームズ」オスロ大会で初優勝。18年にはアスペン大会で優勝。同年平昌オリンピックでは2大会連続となる銀メダルを獲得した。木下グループ所属。AYUMU HIRANO平野 歩夢スキー・スノーボード男子ハーフパイプ 銀メダルText/編集部 Photo/AFLO SPORT

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