OLYMPIAN2015
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31紙一重の金メダル——鮮やかな逆転劇でしたが、相手にリードされているときはどんな心境でしたか。登坂 「このまま負けちゃうかも」と一瞬思ったこともありましたが、時間がある限り何が何でもとってやるという感じでした。——実際にひっくり返して金メダルが決まった瞬間は。登坂 素直にやったぁ!という気持ちです。——表彰台の頂点から見た景色は。登坂 いろいろな人や出来事を思い返して、自分がオリンピックで金メダルをとるために、本当にたくさんの方にサポートしていただいたなという思いでした。——金メダルを期待されてプレッシャーもあったと思いますが、どうやって打ち勝ちましたか。登坂 勝負はやってみないと分からない、実力差がないことは分かっていました。そういうレベルの戦いだからこそ気持ちが大事だと、何が何でも金メダルをとろうと思っていました。——オリンピックを経験して感じたことは。登坂 1回戦から決勝まで本当に手ごわい相手ばかりで、全体的に世界のレベルがすごく上がっていると感じました。世界選手権よりも海外の選手のプレースタイルが荒く、オリンピックの違いを感じました。 本当にいろいろな方のおかげでメダルがとれた、その重さを感じています。——会場では日の丸が数多く振られていました。気持ちの高ぶりはいかがでしたか。登坂 ホームでやっているような感覚で、本当に負ける気がしなかったですね。——ご家族のサポートはいかがでしたか。登坂 家族には、勝てないときから「絵莉はいつかチャンピオンになる」と言い続けてもらい、家族あっての自分だと本当に感謝しています。母からは、オリンピック前に手紙をもらいました。「お母さんはリオに連れてきてもらっただけで十分です。あとは後悔のないように思い切って戦ってください」と。リオまで大切に持ってきました。偉大な先輩の背中を追って——金メダルを手にするまでに、苦しい時期もあったと思います。登坂 けがをして練習をしたくてもできない時期が、苦しかったですね。(吉田)沙保里さんにはよく相談に乗ってもらいました。「できることを一生懸命やる、まず(けがを)治すことを最優先にあせらずやりなさい」と言葉をかけていただきました。——吉田選手と伊調馨選手、登坂選手にとって2人の存在とは。登坂 自分たちは偉大な先輩たちについていくだけ、という気持ちでやってきました。沙保里さんも馨さんも自分たちにとっては頼もしくてかっこいい先輩で、いるだけで安心する存在でした。——4年後の連覇に向けて意気込みを。登坂 けがが多いので、まずはしっかりけがを治してコンスタントに練習をしていきたいと考えています。その中で、今回タックルがあまり決まらなかったので、もう一度タックルの練習を見直したいですね。——登坂選手自身がいろいろな人に憧れて競技をしてきたと思いますが、今度は子どもたちから憧れられる存在になりますね。登坂 オリンピックチャンピオンは、「憧れられる人」になると思います。私が沙保里さんに憧れてきたように、「こんなふうになりたい」と思ってもらえる人として成長していきたいです。周りに気も配れて、後輩に慕われて、練習でも誰よりも声を出して周りを引っ張っていく、そんな、沙保里さんのような選手になりたいと思います。登坂 絵莉(とうさか・えり)1993年8月30日生まれ。富山県出身。小学3年でレスリングを始める。志学館高校入学後、全国高等学校女子レスリング選手権を連覇。志学館大学進学後、2012年、ジュニアオリンピック女子51kg級で優勝。13年から15年まで世界選手権女子48kg級3連覇。16年リオデジャネイロオリンピックでは女子48kg級で金メダルを獲得。東新住建(株)所属。Text:編集部/Interview:岩本勝暁/Photo:PHOTO KISHIMOTO後輩から憧れられる存在にレスリング登坂 絵莉Eri Tosaka

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