OLYMPIAN2013
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32うれしくて悔しい銅メダル——一夜明け、目が覚めて、銅メダルを見てどんな気持ちでしたか。瀬戸 その日はあんまり眠れませんでした。悔しい気持ちと疲れもあって、うたた寝みたいな感じですかね。4年に1度のオリンピックで、メダルはなかなかとれるものではないですし、銅メダルでもとれたことは幸せだと思いました。——オリンピックの舞台に立って、感じたことはありますか。瀬戸 自分なりに練習を頑張ってきたので、自信を持ってオリンピックに臨めました。銅メダルという結果には、自分よりももっと努力している人がたくさんいると感じました。 この銅メダルが自分に火をつけてくれました。これからの4年間をどう過ごすかによって東京オリンピックで笑えるよ、と神様が言っているとポジティブにとらえています。ここからが自分の最終章だと思っています。——4年前、代表切符を逃がした悔しい思いから、ここまでいかがでしたか。瀬戸 ロンドンオリンピックが終わってからの4年間、リオデジャネイロオリンピックが始まるまでに、世界大会で金メダルを2つとりましたし、アジア大会の選手村も含めていろいろな経験ができました。振り返ってみると、この4年は長かったようで短かったです。次の東京オリンピックまでもあっという間だと思うので、本当に大切にしていきたいと思います。——今大会の競泳界全体のいい流れに、何か要因を感じますか。瀬戸 最初の400m個人メドレーで金をとって、その後も順調にメダルをとれました。東京オリンピックでも、僕と(萩野)公介の400m個人メドレーが日本チームのスタートになるはずです。競泳もオリンピックの人気競技でたくさんの人が見てくださっているので、競泳チーム、日本チームにとっても初日の出だしがすごく大事になると思います。——ロンドンオリンピックのときは、ワンパ(円陣)で盛り上がったと聞きました。瀬戸 ワンパもそうですし、各自がチームに何ができるかを紙に書き、写真を撮って試合会場の控え場所に貼っていました。リレー以外は個人競技の競泳ですが、チームワークやチーム全体の流れはすごくあると感じます。東京で金メダルを誓う——子どもたちにも夢を与える存在にならなければいけないですね。瀬戸 今後、私生活も気を付けていかなければならないです(笑)。この後東京オリンピックまで4年間、気を引き締めてやりたいと思います。多くの子どもたちが寄ってきてくれるのですが、自分は子ども好きなので、すごくうれしいですしパワーをもらえます。そして、ちびっ子たちも僕のようになりたいと思ってくれるといいですね。——今後、具体的な目標はありますか。瀬戸 来年1年、海外に行こうと思っています。そこで、語学やトレーニングなど、いろいろなものを吸収したい。そこから3年間は、海外での高地トレーニングなども含めて、日本を中心にしっかりトレーニングをしたいと考えています。オンオフの切り替えは大事だと思うんですけれど、練習、トレーニングを一番に考えて過ごしていきたいです。——最後に応援してくれた皆さんへ向けてメッセージを。瀬戸 銅メダルはとれましたが、皆さんが望む一番いい色のメダルがとれませんでした。でも、そのことにも絶対に意味があるはずです。次は皆さんの目の前で泳げるので、そこで、金メダルをとる姿を絶対に見せたいと思います。瀬戸 大也(せと・だいや)1994年5月24日生まれ。埼玉県出身。小学生時代から萩野公介選手とはライバル関係。2012年日本選手権では男子400m個人メドレー、男子200m個人メドレーともに3位に終わり、ロンドンオリンピック出場を逃す。13年、15年の世界選手権男子400m個人メドレーで連覇。16年リオデジャネイロオリンピックでは男子400m個人メドレーで銅メダルを獲得。早稲田大学/JSS毛呂山スイミングスクール所属。Text:編集部/Interview:岩本勝暁/Photo:PHOTO KISHIMOTO、編集部(Interview)水泳・競泳瀬戸 大也Daiya SetoTOKYOへの4年間が最終章

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