コラム/インタビュー

オリンピックに向けたコンディショニング

Vol.8 移動時のコンディショニング

久木留 毅(くきどめ たけし)

(財)JOC医科学専任スタッフ、(財)JOC情報戦略部会(副部会長)、(財)日本レスリング協会ナショナルチームコーチ・医科学委員会委員 / JISSコンディショニング成功・失敗要因研究プロジェクト

アテネオリンピックまで残すところ39日となり、日本代表選手は本番に向け様々な調整を国内外で行っている。そこで、今回は、移動時のコンディショニングに関して、第14回アジア競技大会(2002/釜山)に参加した日本代表選手・指導者を対象に、JOCとJISSの共同により行なったアンケート調査の結果と、JISSのコンディショニング成功・失敗要因研究プロジェクトにおいて行なった冬季種目の代表コーチへのヒアリングを基に得た知見を紹介する。

原因はエコノミー症候群

航空機内で突然胸の痛みを訴え、到着後緊急入院するという事態が起こった。後日、原因は肺動脈血栓塞栓症(通称エコノミークラス症候群)であったことが分かった。その後、原因と予防については様々な知見が報告されている。移動時に航空機を使うオリンピック代表選手も、細心の注意を図る必要がある。

肺動脈血栓塞栓症

長時間(2時間以上)同じ姿勢で座り続けた場合、血液がスムーズに流れないことがある。その結果、静脈血のうっ滞(流れが悪くなること)が生じ血液粘度が上昇し血液が凝固する。凝固した血液が肺動脈に詰まると肺塞栓症になり、息切れ、呼吸困難などの胸痛を伴い、重症になると命に関わり手術により塞栓を除去しなければならないこともある。飛行機のエコノミークラスの乗客から症状が報告されたことから、エコノミークラス症候群という呼び名がついたが、エコノミークラスだけでなく、ビジネス、ファーストクラス、さらには飛行機だけでなく、長時間の運転、長時間のデスクワーク中にも発症する可能性がある。

移動時のコンディショニング I

1)機内環境を知ろう

オリンピックに出場する選手は、直前の国際大会や海外での強化合宿を行う際、その渡航手段は航空機を利用するのが一般的である。空路の発達に伴って、世界各地へ移動することが可能になったが、狭い座席に数時間、時には12時間以上もの渡航過程を経て目的地へ到着することを再確認しておく必要がある。
さらに、飛行中の機内環境は地上と全く同じでは無い。国内大手の航空会社によると、飛行中の機内の気圧は、0.8気圧程度になるという。これは、1,500 m級の山にいることに相当する。機内温度はエアコンにより、24 ℃前後に保たれているが、機内の湿度は飛行時間が長くなると20 %以下にまで低下する。機内の乾燥により乗客の体内の水分が奪われやすい状態が着陸時まで続いており、水分がより失われやすい状態にあると考えられる。その結果、血液粘度が高まり、足のむくみやしびれなどの症状を起こすことになる。

2)機内でのコンディショニングの実態

2002年アジア大会日本代表選手団を対象にアンケート調査の結果から、長時間の移動中に不快な症状を感じた経験を持つ選手は、全体の47.5 %を示した(図1)。不快症状を感じた選手の具体的な症状例は、下腿のむくみが80%を占めた(図2)。また長時間の移動によりコンディションを崩した経験を持つ選手は、全体の26.8 %(141人)を占め、その141人のうち試合への影響があった選手はうち29.4 %(41人)を示した(図3)。このことから国外遠征の長距離移動が選手のコンディションに与える影響、ひいては試合結果に与える影響は少なくない。

図1 長時間の移動中に不快な症状を感じた経験はあるか
図2 不快症状を訴えた選手の具体的な症状例
図 3 (a)長時間の移動中にコンディションを
崩した経験はあるか
(b)それは試合に影響した

3)機内でのコンディショニング

  1. 動的対策 (脚の筋肉を動かそう)
    機内では、脚の筋肉を収縮と弛緩を繰り返し動かす運動をこまめに繰り返す。具体的には、機内の少し離れたトイレに行くなどして歩行の機会を作る。さらに、座席および通路等で脚の曲げ伸ばし、足の指の軽い運動や静的ストレッチを実施することにより、下肢を使う機会を自ら設けることが機内でのコンディショニングに重要である。また、ゆったりした衣服に着替えたり,ベルトをゆるめたり,スリッパの使用などにより、身体のリラックスをはかることも必要である。
  2. 水分補給(成分にも注意が必要) 機内の乾燥により乗客の体内の水分が奪われやすい状態が着陸時まで続く。そこで、水分補給をこまめに実施する必要がある。しかし、利尿効果のあるアルコール類やカフェインを含むコーヒーなどは、極力避ける必要がある。そこで、水、果汁100%ジュースが水分補給には好ましい。また、航空機に長時間搭乗する旅客への水分補給には、スポーツ飲料などの糖電解質飲料が血液粘度上昇防止、血栓予防などの意味からも単なる水よりも優れていることが報告されている。
移動時のコンディショニングII

1)概日リズム(サーカディアンリズム)

概日リズム(サーカディアンリズム)とは、規則的に連続する精神的・生理的な変化で約24?25時間を周期にしている。長時間の移動時には、概日リズム(サーカディアンリズム)の乱れ(通称 時差ボケ)が生じる。東行き(日本からアメリカ方面)のフライトでは、同じ時間で西方フライト(日本からヨーロッパ方面)した時に比べて時差ボケが大きいことが知られている。アテネオリンピックへは西行きのフライトのため現地時間にやや同調しやすく、比較的時差ボケは少ないと考えられる。しかし、現地時間との同調がうまく行かないと、入眠困難、睡眠障害、集中困難、目の疲れ、気分の高揚や憂うつ、心身疲労、食欲減退などがおこるため、競技者のパフォーマンスへの影響も考える必要がある。

12)時差ボケ対策

概日リズムを同調させるために到着した現地で軽い運動を取り入れると時差の同調が促されることが分かっている。日本で生活するときの平時の入眠タイミングでまず睡眠をとるようにする。そして、現地に着いたら軽い運動で身体を調整しつつ、屋外スポーツ競技などでは屋外光の下での軽い運動により、概日リズムの同調が促進されると考えられる。ただし、現地の夜間に体育館などの室内で強い光を浴びると入眠のタイミングがまた変化するので注意が必要である。これまでのところ、概日リズム睡眠障害に対する調整法について確立されているとは言えないが、現地に着いた当日の入眠のタイミングをきちんと設定し、スムーズに熟睡できるように計らうこととが肝要である。

3)時差ボケ対策 冬季種目の事例

シーズン中の海外遠征経験が豊富な冬季種目が実施している時差調整方法について、ノルディック複合全日本コーチの河野孝典氏、日本スケート連盟常任強化コーチの結城匡啓氏のナレッジ(知識)を紹介する。

  1. 現地到着後、5日間は昼寝をしない(ホルモンのバランス調整等のため)。
    そのために選手に対しては昼間の散歩、街でのショッピングを半強制的に実施している。5日間の根拠として、時差ボケは1時間30分/日で解消されていくことを調べた。
     (スケート・結城)
  2. スケートの世界では、メラトニン(睡眠誘発剤)を当り前のように使用している。
    (スケート・結城)
  3. 寝ている間にトイレ(小)に行かなくなったら時差ボケが解消しつつある。
    (スケート・結城)。
  4. 選手の便通状態を参考にして時差ボケが解消されているかを確認する。
    (スケート・結城)。
  5. 大会のための遠征は、約10日前に開催地近郊に入り時差調整等を行う。実際に開催地 入りするのは、公式練習ができる3日前である。
    (ノルディック複合・河野)
  6. 日本から東(アメリカ)へ移動する時と、西(ヨーロッパ)へ移動する時では時差ボケの対処方法が違う(ヨーロッパから日本へ帰国する時は、東へ移動することになる)。東へ移動する時が時差ボケに成りやすいので、夜早く寝て、朝はゆっくり起きると良い。
     (ノルディック複合・河野)
  7. コンバインドのフィンランド遠征時に、選手のヘモグロビン値の検査をしたところ現地入り直後には極端に高い値を示し(血中の水分の減少に伴う血液粘度の増加による)、その後回復していくことが分かった。
    (ノルディック複合・河野)

 冬季種目は海外遠征が長期間に渡るため、移動時のコンディショニングにも慣れている。また、暗黙知(人間ひとりひとりの体験に基づく個人的な知識)の蓄積がしっかりしている。これらの点を考えると、冬季種目のナレッジ(知識)をアテネオリンピック選手団に活かしていくことがTEAM JAPANの強化へと繋がり、選手もコンディショニングを良好に保つことができるようになる。

まとめ

 コンディショングのための環境因子を把握しておくことと日々変動する競技者自身のコンディションを自ら理解し、それを最高の状態にもっていくことで、国外遠征に際しても競技においてより精度の高いパフォーマンスが引き出されるものと考えられる。その意味からも、アテネオリンピック直前の飛行機内のコンディショニングと時差調整に関するコンディショニングを良好に保つ必要がある。
第27回オリンピック競技大会(2004/アテネ)日本選手団が移動時のコンディションを良好に保ち、アテネの地で一つでも多くの日の丸を揚げることを心より祈る。

(2004.7.15 掲載)


ページトップへ