結城匡啓(ゆうき・まさひろ)
信州大学教育学部助教授 (財)日本スケート連盟常任強化コーチ (財)JOC科学サポート部会(副部会長)/コンディショニング成功・失敗要因研究プロジェクト
今回は、前回に続き、第19回オリンピック冬季競技大会(2002/ソルトレークシティー)でコンディショニングに成功を収めた事例として、地元アメリカの期待を背負い大成功したアメリカスピードスケートチームの調査結果をご紹介する。残念ながら日本チームは1998年長野オリンピックと2002年ソルトレークシティーオリンピックを比較した場合、入賞者数は9から7へ、メダル獲得数も3から1へと減少している。一方、アメリカチームは入賞者数が12から18へ、メダル獲得数も2から8へ、うち金メダルが3つでしかもそれらすべてが世界記録と大躍進を遂げた。
当時、清水宏保選手を担当していた筆者には、このようなメダル数や入賞者数の違いに加え、アメリカ選手のほとんどの選手が自己記録を更新しているのに対して、日本選手の多くが自己記録をも更新できず敗北感を募らせたように思えた。アメリカの大成功の原因が知りたくて、恥を忍んでソルトレークシティーオリンピックの翌シーズンにアメリカに出向き、オリンピック当時短距離コーチを担当していたMike Crowe氏(調査時はアメリカスケート連盟スピード強化委員長)に面接調査を依頼した。
Crowe氏によると、コーチが自分の担当選手とナショナルチーム全体の成功を常に考えて動いていたという。担当選手を成功させることがチームの成功につながることも知っていたようだ。
「大成功した一番大きな要因はコーチの協力関係だった(good cooperation)。コーチ陣の本当の気持ち(true feeling)は仲間で成功することだった。ナショナルチームで合同に練習することも価値があった」という。
時に、女子のC.Witty選手(1000mで世界記録で金メダル)は、K.Carpenter選手(男子500m銅メダル)やJ.Cheek選手(男子1000m銅メダル)などの男子短距離選手の後ろについて速いスピードで滑ることもできたし、長距離コーチのもとで長距離選手について長い距離を滑ることもできたことは世界記録で金メダルを獲るために有効だったという。
3つのプロジェクトとは、1:高所対策プロジェクト、2:『速い氷』対策プロジェクト、3:航空科学(NASA)プロジェクトであった。このうち、メインプロジェクトは高所対策プロジェクトで、その資金はすべてアメリカオリンピック委員会(USOC)とスケート連盟のスポンサーから出資された。問題は、選手個人にスポンサーがついている場合にスポンサーの競合が起こったことだった。個人スポンサーがメインの高所プロジェクトを認めない限り、その選手(個人)はメインプロジェクトに参加できなかったのである。この問題は男子500mで優勝したC.Fitzrandolf選手で起こった。彼はUSOC以外の個人スポンサーがついていたのでこのプロジェクトに参加せず、カナダで個別にトレーニングしていた。しかし、それ以外の選手はスポンサーの制約以外はまったく自由だったということだ。
多くの生理学者が地元ユタ大学やUSOCからいつも手助けし、質問に答えてくれた。特に安静時脈拍数resting HRについての情報は有用で助けられたという件は興味深かった。他にもアメリカでは10年前からスポーツエイジュントの研究、5年前からスポーツサイコロジストが集中の仕方の研究を進めており、これらはゴルフのタイガー・ウッズらにも役立てられているらしいが、これらも有効だった。しかし、何度も強調していたのは「このプロジェクトは3年必要だった」という言葉である。
全メンバーはソルトレークに移住したという。「3年必要だった。なぜなら、最初の2年間は失敗の連続だったからである。3年目にようやく各個人の違いをつかんだ」という。どの程度トレーニングと休息(生活)する標高を高くしたり低くしたりするのか。どの程度長い期間トレーニングするのか。回復にどのくらい必要か。それらの組み合わせを見つける作業に3年が必要だったのだ。ほとんどの選手はLiving High(パークシティ=標高2200m)、Training little bit Low(ソルトレークシティー=標高1300m)という組み合わせだったが、トレーニング期間は3日〜3週間まで個人差が大きかった。
まず、カナダ・カルガリー(標高1100m)で各個人・各チームでシミュレーションし、各選手の最適なパフォーマンスを出すために、強いトレーニングは3週間前か2週間前、あるいは1週間前など、どれがいいのか試した。カルガリーはソルトレークより少し標高が低いので、わずかな違いを最後の年(オリンピックの年)にソルトレークで経験を積むようにしたのだ。そして、最終的に、オリンピック本番のときにだれがどこに住むのかを決めたという。
例えば、1500mに世界記録で優勝したD.Parra選手は標高2200mのパークシティでトレーニングして、そこで休息(生活)してもよいが、500mで銅メダルのCarpenter選手と1000mで銅メダルのCheek選手は1300mのソルトレークでトレーニングも生活もする必要があった。女子1000mに世界記録で優勝したWitty選手は3日前に下山してくると最も好調だった。また、ソルトレークよりも低いところ(Even low)で生活させる必要のある選手もあったという。
「いろんな人のサポートが必要だったが、トレーニングテーブル(Training Table)と呼ばれる食事会が週2〜3回の頻度で特にハードトレーニング期や、特別に一緒にいたい時期に設定された。それは選手、コーチ、セラピスト、生理学者、栄養士(Dietation, Nutrition)が参加し話すよい機会であった」とCrowe氏は語った。
高所トレーニングは2人の生理学者がリーダー的存在だったが、判断の難しいところは研究者に分析してもらってアドバイスを受けた。食事会は、いろいろなパターンのとき選手のパフォーマスがどうだったのか、コーチ陣と話し合って決めるためのよい機会になったという。例えば、カルガリーでのシミュレーションの経験やヨーロッパ遠征などのように、各自異なるスケジュールになった場合、各個人を理解するために必要な情報が交換されたのだ。「直接顔を合わせながら話すことは短い時間でも有意義で安心できた」と漏らした。
2つめのプロジェクト『速い氷』対策である。「女子選手は男子選手の後ろについて練習することで簡単に解決できたが、男子は組み合わせ練習を使った。例えば5000mでも銀メダルを獲ったParra選手の5000mの練習は、2〜3人の男子選手で交互に引っ張り合って世界記録ペースを確立していった」とCrowe氏は明かした。ところが苦労したのは男子の短距離だったという。「短距離種目の速い人をもっと速くするのが難しかった。スタートが遅いことも問題だった。特にオリンピック3年前は誰も短距離に速い人がいなかったので苦労した」と嘆いた。清水がうらやましかったと言いながら、2〜3周(少し長めの距離という意味)を速く滑ることに集中して筋力をつけさせ、その後、爆発的でパワフルなトレーニングに移行していったと続けた。
筆者は、同じリンクに立つ立場として、アメリカチームに帯同する一人のドクターに嫌な感触を覚えていた。その人こそ1980年のレイクプラシッドオリンピックで男子5種目を完全制覇したエリク・ハイデン氏である。彼は医者になっており、登録はチームドクターということではあったが、リンクサイドで選手を見守るその姿には、コーチとしても選手を支えているかのような存在感と、いわばアメリカチームの守り神のようなカリスマ性を感じざるを得なかったのは筆者だけではないと思う。そのエリク・ハイデン氏の役割について尋ねた。
Crowe氏はハイデン氏について「役割はチームドクターとして関わったが、動機づけの役割Motivative speakerもあった。つまり「勝つ雰囲気」を作ってくれていた。我々(コーチ陣)の意識としては 『彼は単なる成功者だ。昔のオリンピックで5種目に優勝しただけだ』 とういう意識で、彼は単に成功するイベントに参加したいからスタッフになったものと受け取った」と冷静に語った。
アメリカチームはハイデン氏以外にも、ソルトレークシティーオリンピック直前のノルウェーの世界選手権でコス選手やダーリ選手を招き、オリンピックでの身体的な経験論を話してもらう機会を作り、3人ともオリンピック前の準備にはいくつか問題があったことや、それをどう超えていったのかを語らせ、選手に聞かせていたのだという。
精神面ではコーチ以外の影響も大きい。驚いたことに、日本の堀井選手にアメリカでは若手のK.Carpenter選手(500mで銅メダル)は影響を受けたのだという。Carpenter選手は性格にムラが大きくよく練習をサボっていたが,ある時,尊敬する堀井選手がCarpenter選手に言ってくれた「Everyday Olympic Games」という一言がCarpenter選手を変えたというのだ。
ハイデン氏がチームに入るとき、彼はスケートはもちろん自転車からもいろいろな経験をしてきており自信を持っているので、成功の要求が非常に高い点で少し心配はあった。やはり途中でコーチ陣との間に不協和音が響くことがあったという。「我々は成功しなければならなかったので、問題が起こったときにも、プロのコーチとして努力して1つのチームとして彼を認めようとした。『おい、1つのチームとして頑張るって言ったじゃないか!』と一に戻って考え直した」とCrowe氏は語った。
面接調査を終えて、アメリカスピードスケートチームの成功の要因を一言でいえば、『プロジェクトチームの重要性』ということであろう。1つの目標に向かって各分野の専門家がそれぞれの役割を十分に果たしたとき、それは単なる総和となるだけではなく、文字通りの相乗効果で2倍にも3倍にも大きな成果として現れるのだ。
(2004.6.17 掲載)