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オリンピックに向けたコンディショニング

Vol.6 ソルトレークシティーオリンピック事例より

結城匡啓(ゆうき・まさひろ)

信州大学教育学部助教授 (財)日本スケート連盟常任強化コーチ (財)JOC科学サポート部会(副部会長)/コンディショニング成功・失敗要因研究プロジェクト

夏冬のオリンピック開催に2年の時差がついてはや10年が経過した。競技力向上に向けたコンディショニングに関する種目間を越えた情報の共有は、その国ぐるみの「スポーツ力」の底上げに役立つはずである。第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)が目前に迫った今回と次回は第19回オリンピック冬季競技大会(2002/ソルトレークシティー)で成功を修めたスピードスケートの事例を紹介し、冬から夏へエールを贈りたい。

生理学データに基づいた長距離エース・白幡選手の挑戦
白幡選手
(Photo/AFLO SPORT)

ソルトレークシティーオリンピックの最終日10000m。惜しくもメダル獲得は逃したが4位入賞を果たし、そのレースを最後に一線を退いた白幡圭史選手。長年、日本スピードスケート界の長距離エースとして世界と互角に戦った彼のトレーニングには膨大な生理学的データの蓄積による科学的な裏付けがあった。

そのトレーニングを影で支えた存在が、高所トレーニングをはじめとする運動生理学を専門とする前嶋孝氏(専修大学教授)であった。

前嶋氏といえば、1988年カルガリーオリンピックで銅メダルを獲得した黒岩彰選手のコーチであり、日本スケート界屈指の名コーチとして知る人が多いであろう。

今回、ソルトレークシティーオリンピックへのコンディショニングについてインタビューする機会を得、含蓄の多いアドバイスをたくさんいただいた。

低酸素トレーニングはどれでもいいのだから選手の感覚を大事に

前嶋氏は長野オリンピックの前から高所トレーニングを選手のトレーニングに取り入れている。しかしその取り組みは、単に酸素分圧の低い高所でトレーニングするにとどまらず、低酸素状態の特別な部屋やテントを用意し、そこでトレーニングをして、挙句の果てにはそこで生活もするという過酷なものである。現役時代の白幡選手を知る筆者には、白幡選手が時にまるで修行中の僧侶にも思えるほどの形相だったのが記憶に残っている。

前嶋氏は「高所トレーニングは高所や低酸素室に滞在するだけではなかなか効果が出ない。しかし低酸素室に入りながら更に低酸素で運動すると一気に伸びるところがあり、低酸素室を使いながら低酸素で運動することを1週間くらい続け、そのときの疲れ具合を考慮して試合にぶつけるというのが一番効率が良い」と言う。

低酸素室を出るとSpO2(血中酸素飽和度)や、心拍数の負荷に対する反応がどんどん元に戻る。一方、選手の疲労は低酸素室を出た直後は疲労のピークであり、低酸素刺激の生理的な効果を残しながら、いかに疲労を抜いていくか。まさに,試合の何日前まで低酸素刺激を入れるかの決断がコンディショニングに大きく左右するのだ。

ピークパフォーマンスに達する白幡選手固有のパターン。これを見つけるために師弟は膨大な日々を費やした。「2週間低酸素室に入りながら低酸素で運動する場合、1週間入りながら低酸素で運動する場合、3日入って4日出るのを繰り返す場合、入らないで毎日30分自転車で低酸素運動だけを行う場合。色々試してみましたが、どれでも効果はあります」6年にも及ぶ試行錯誤の末、前嶋氏は1つの結論を持ってソルトレークシティーオリンピックに臨んだ。「どれでもいいんだから選手の感覚を大事にしようと思って。そうしたら白幡は1週間入るほうがいいと言うんです。1週間入って2週間出るというのを繰り返す方法にした。多少体にはだるさは残るけど頑張りがきくとよく言っていました」

科学的なデータの蓄積による完璧な準備状態。そして、最後は優れた選手とコーチ兼科学者の"科学的な勘"で勝負した結果が4位入賞を掴み取ったのだ。

何も測らないで口だけでいいぞとかいうよりはよっぽど説得力がある

ソルトレークシティーは標高1300mの準高所。白幡選手はソルトレークシティー大会本番直前、低酸素トレーニングの場所に標高2200mのパークシティーを選んだ。そこに泊まりながら自転車エルゴメーターで、いつもの低酸素室でのトレーニングと同じになるように低酸素刺激を行った。SpO2を測りながらSpO2が大体90%を切るかどうかというレベルを目安に負荷を決めて自転車をこぐ。方法を全く変えずに、こぐ回数も全く同じ。そうすると心拍数とSpO2をみるとコンディションが分かるのだという。「いつも記録する表がある。負荷も決まっている。何KP(負荷の強さ)のときはRPE(主観的運動強度)はいくつで、心拍数はいくつで、SpO2はいくつで、というのを毎日書いた表がファイルにたまっている。そのまま全部見せておく。自分が書いてみると前回こうだとかが分かる。このくらいならいつもと同じくらいだなとか、いつもよりいいなというふうに自分でも判断できる。それは何も測らないで口だけでいいぞとかいうより、よっぽど説得力があると思います。」

この辺でやめておけというと不安になってしまう。そこで勇気がもてるかどうか

白幡選手は長い選手生活の間にピークパフォーマンスの保ち方を会得していたという。しかし、前嶋氏は白幡選手がこれを若いうちから持っていたと分析している。普通、連戦が続く試合期ではなかなか練習を休んだり、感触だけつかむようにゆっくり滑るだけにしたりしてレースに臨むことが難しいのだ。つい不安になってスピード感を求め、逆に疲れをためて調子を崩すことが多い。わかっていてもなかなかできない。それが大舞台というものだ。

前嶋氏にはこんな経験が見る目のもとになっているそうだ。「1988年の黒岩彰のカルガリー大会の直前がもっとも極端な例だと思います。本番2週間前に初めて36秒77という当時の日本記録を出した。彼にとって絶好調。2週間前にこんなにピークになったのではうまくいかないので、1回落とさなければいけないですよねと言ってきた。そうだな。少し落とした方がいいぞと、その日のうちに自転車を猛烈こいで落とした。その1週間後にタイムトライアルに出たら38秒しか出なかった。そのときにすでに追い込みすぎていた。そこで、その日から試合の直前まで一切滑らないと決めたんです。滑らないと決めたのですが、3日前くらいから少し滑っては駄目ですかと言い出して、そんなに心配なら2〜3周滑ったらやめるということを続けました。そうしたら偶然かどうか、オリンピック本番のレースでは2週間前に出したタイムとちょうど同じだった。その1週間何もしていなかったのに。だからとにかく疲れていては駄目。疲れをとるにはどうするかといったら休むしかない」

筆者がソルトレークシティー大会で担当した清水宏保選手も、大舞台の直前でさえも自らの判断で休むことのできた男だ。前嶋氏は続けた。「もうこの辺でやめておけというと不安になってしまう。そこで勇気がもてるかどうか。ここでやめておけというのも、こちらも感覚的なのですが結構これが当たる」

徹底してやったことは一番絶好調だったときの体重にすること

前嶋氏はご自身も10,000mの日本記録を樹立した経験のある選手だった。氏いわく、短期間の減量をしていったときに、ものすごく体の動く状態が1カ月くらいでくるというのを体験したことがあるという。「選手には少し多めの体重で行って、大事な試合の1カ月前から体重コントロールする。これも1つのピーキングといえるのかな。やっぱりこれは感覚でいうと選手の頬がこけてこないと駄目ですよ。精悍な顔になってこないと試合には勝てない。それは1つは精神的な集中もあるが、食事もあるのではではないですか」

ハードトレーニングは2カ月前から!コンディショニングは1カ月前から!

狙った試合にピークパフォーマンスを合わせる時、まず難しいのはハードトレーニングをどこにおくかということになる。前嶋氏は本当にハードな練習は1カ月前では遅いと言う。「ハードトレーニングは2カ月前から始まるのではないですか。むしろジリジリするほど休んだあとに記録を出したということはあります。コンディショニングというと、どちらかというとその先にピーキングをイメージしますよね。成績を出すために準備が始まったと。十分トレーニングしました。さぁ!これから準備に入るぞと、そういうことでしょう。コンディショニングととらえる時には大事な大会の1カ月前から始まる」

日本はオリンピックに勝つためにはオリンピックを想定した遠征が必要

イメージトレーニングにも取り組んだ経験のある前嶋氏は、オリンピックの選手村という環境を知った上での訓練というのも心理的に影響が大きいという。「例えば、オリンピック村で一部屋に2人ずつ入るのであれば、どこヘ行くにも2人部屋、どこの合宿に行っても2人部屋というふうなことに慣れさせる必要はある。もし一人部屋でずっとやってきてしまった人がいて、日本のトップでどうしてもメダルが欲しいというときには、その人は一人で行くべき。私はそう思います。やっぱり日頃のトレーニングは何のためのトレーニングかということですよ。日頃と違ったことをしたのでは力発揮できないと思います。ピーキングに大いに影響します」

最後に

前嶋氏と白幡選手の取り組みには、コンディショニングというテーマを超えた科学を実践に活かすドラマがあったと感じた。膨大な生理学的データに裏打ちされたトレーニング計画。これをどうパフォーマンスに役立てるのか。最後に決めたトレーニング計画は「選手の感覚を大切にした」。休ませるところは「感覚的」だったり「勇気」が必要だったりもした。日頃からの科学的な蓄積による計算をヒントにして大舞台を読み、最後は“科学的な勘”で勝負していたのだ。日本スポーツ界が抱える理論と実践ギャップを埋めた好例でもあろう。

(2004.5.27 掲載)


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