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第1回アテネオリンピック優勝メダル

オリンピック・メモリアル

オリンピック・メモリアル vol.1

第1回アテネオリンピック優勝メダル

協力:秩父宮記念スポーツ博物館 
文/国立競技場 三上孝道

優勝メダルの表と裏










第1回アテネ大会ポスター(大会公式報告書表紙)
写真提供:アフロスポーツ

日本がまだ参加していない1896年の第1回アテネオリンピックの優勝メダルが、スポーツ博物館に展示されている。

このメダルは、第1回アテネ大会体操・鉄棒競技で優勝したヘルマン・ヴァインゲルトナー選手(ドイツ)のものである。ご遺族からの「第18回東京オリンピックの体操競技で一番優秀な選手に贈りたい」との意向により、個人総合で金メダルを獲得した遠藤幸雄氏に贈呈されたものである。

遠藤氏はずっと自宅に置いていたが、自分だけが見るものではないという考えから、1994年6月23日、JOCを介して秩父宮記念スポーツ博物館に寄贈し、以来博物館で展示されることとなった。

ちなみに、1994年は東京オリンピック開催30年の年であり、かつ100年前の1894年6月23日はオリンピック復興100年の日にあたる。6月23日は、今でもオリンピックデーとして世界各地で式典が行われている。

優勝者に銀メダル?!

このメダルはフランスの彫刻家ジュール・シャプランのデザインで鋳造された。片面には全能の神ゼウスの顔があしらわれ、その右手に持つ球の上には勝利の女神ニケが月桂樹の枝を持って立っているというデザイン。もう一方の片面にはアクロポリスの神殿全景が彫られている。

直径は48.9mm、厚さ3.6mm、重さ68gで、なんと銀製である。当時は、優勝者にはこの銀メダルとオリーブの小枝、2位には銅メダルと月桂樹の小枝で編んだ冠が授与された。3位には何にも与えられていない。また、この大会だけであったが、マラソン優勝者には銀カップ、フェンシングのフルーレ優勝者には花瓶、射撃優勝者には戦闘銃、決闘ピストル優勝者にはピストルが授与された。

オリンピック・ポスターはなかった?!

第1回アテネオリンピックのポスターとしてよく目にするこの絵柄、実は大会公式報告書の表紙であった。サイズは32×24cm。

よく見ると左上に「776—1896」とある。これは紀元前776年に古代オリンピアの祭典競技大会が初めて行われ、1896年に第1回アテネオリンピックが開催されたことを示している。

古代オリンピックはギリシャの全民族的祭典競技であったが、紀元前146年にギリシャがローマ帝国に支配されたことにより、次第に単なる遊興的競技大会となってしまう。「ゼウスの神に捧げる祭典競技」という古代オリンピックの意味合いも、ローマのテオドシウス1世がキリスト教を国教と定めたために風化していき、さらにはテオドシウス2世の「異教神殿廃止令」(392年)によって、オリンピアの神殿や関連建築物はことごとく破壊された。そのため、393年の第293回オリンピック競技大祭を最後に、1876年の遺跡発掘まで人々の記憶から古代オリンピックは消え失せてしまう。

1892年、ピエール・ド・クーベルタン(フランス)がオリンピック競技大会の復興を唱え、前述した1894年6月23日にパリ・ソルボンヌ大学講堂において「オリンピックの復興」が決議され、その2年後に第1回アテネオリンピックが開催されるのだ。

この大会公式報告書の表紙に描かれているのは、「馬蹄型のメインスタジアム(パナシナイコスタジアム)」と、その上にアテネの高丘「アクロポリス神殿」。そして、「勝者のみに贈られるオリーブの冠と棕櫚の小枝を持つギリシャ神話の女神アテナらしき少女」が描かれており、まさに第1回アテネ大会が古代と近代をつなぐオリンピック大会と位置付けられていることがわかる。

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