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Special Interview 松岡 修造

北京大会がくれたもの 〜「チームがんばれ! ニッポン!」応援団長が見た北京〜

OLYMPIAN 2008より転載

 

波瀾万丈の
ソフトボール金メダル

北京大会で印象に残っているのは、シドニー大会以来、継続して取材してきた北島康介選手(競泳)と、この数年間、成長する姿を追い続けてきた上野由岐子選手(ソフトボール)です。多くの人が同じ思いでしょうが、僕にとってこの2人は関わりも深く、特に印象に残りました。

ソフトボール日本代表チームがアメリカと闘った決勝戦。試合前に上野選手が指のマメをつぶしたと聞き、投げるのは無理だと思いました。1回裏に日本が満塁のピンチを迎えたとき、僕は敗戦を覚悟して、日本はよくやった、上野選手はよく投げたと思いました。

しかし、上野選手は、僕の不安をことごとく裏切ってくれたのです。1回裏のピンチのときには、「満塁にはなったが、アメリカはいつもと違って浮足立っている。ヒットは打たれたが、クリーンヒットではない」と冷静に考え、逆に勝利を確信したと後に語ってくれました。また、4回にホームランを打ったバストス選手を迎えた6回のピンチでは、自ら敬遠を選択。アメリカに勝つことだけを考えて臨んだ上野選手とチームメイトは、冷静な判断で金メダルを手繰り寄せたのです。

甲子園の高校野球を思わせるひたむきな闘いぶり、そして、予選、準決勝と2回も敗れたアメリカを決勝でとうとう倒して、最後のオリンピックで悲願の優勝。ソフトボールの金メダルには、波瀾万丈の物語がありました。

優勝後の上野選手は疲れ果てているかと思ったら、「こんな楽しい時間はなかった。もっと投げたかった」と言ったのには、本当に驚きました。

 

自分に打ち勝った
北島選手の2連覇

一方、オリンピックの怖さと喜びを味わわせてくれたのが、北島選手の2連覇でした。

100m平泳ぎ予選、かねてからのライバル、ハンセン選手(アメリカ)の調子が悪いとわかると、日本チームの雰囲気が明らかに変わりました。北島選手が勝つのは当たり前、どのように勝つかが問題、という空気になっていたのです。

ところが、準決勝。予選から好調だったダーレオーエン選手(ノルウェー)が、記録をさらに縮め、世界記録に迫るタイムをたたき出し、北島選手はというと記録が伸びませんでした。

準決勝を終えた北島選手は、追いつめられている様子でした。厳しい雰囲気に、集まった報道陣も声がかけられません。僕も黙ったまま見送っていましたが、ヘッドフォンをつけて厳しい表情で会場から出てきた北島選手がバスに乗り込む直前、おもむろにヘッドフォンを取って「やるっきゃないです!」と言ってバスに乗り込んだのです。

北島選手が世界新記録で優勝した瞬間、僕は感極まって大泣きしてしまいました。プールから上がった北島選手も言葉に詰まり、涙を流している。彼と同じ感覚でいられたのを嬉しく思いました。自分に打ち勝った北島選手の2連覇。一生忘れない感動を味わうことができました。

 

指導者の重要性を教えてくれた
平井コーチと北島選手の関係

北島選手の活躍で、もうひとつ嬉しかったのは、平井伯昌コーチを特集した番組が制作されるなど、指導者にもスポットライトが当てられ、その役割の大きさが世間に伝わったこと。乱暴に言ってしまうと、平井コーチなくして北島選手のオリンピック2連覇はなかったのです。

平井コーチと北島選手の関係は、先生と生徒のようであり、それは北島選手が小学生だったころから変わりません。世界のトップになっても、素直にコーチの指示を聞き入れるのです。こうした2人の姿は非常に新鮮に映りました。

海外では、指導者への関心が高く、極端に言えば選手以上に批判されますが、でも、リスペクトもされます。日本も今後は、待遇の面も含めた指導者の強化、プロフェッショナルな指導者の養成が欠かせません。

指導者をはじめ、トレーナー、メンタルトレーニングの担当者、栄養管理の専門家などにプロフェッショナルがそろわないと、メダルが獲得できない。そんな時代が確実にやってくるからです。

 

人も国も変えてしまう
オリンピックの持つ大きな力

北京大会では、多い日には3競技の会場を回りました。1日にこれほど多くの会場を回ることができたオリンピックは初めてでした。

それを可能にしたのは、会場がコンパクトにまとめられていたことと、IBC(国際放送センター)と各競技会場を結ぶメディア専用バスが、時間通りに走ってくれたこと。主要道路にオリンピックレーンが設けられていたので、渋滞に巻き込まれなかったうえに、セキュリティチェックもスムーズに受けられるので、タクシーやチャーターした車などを使うより、よほど早く会場に行くことができました。運営面がよく考えられた大会だったと言えるでしょう。

また、観客のマナーも、競技を知らないがゆえのトラブルが一部であったものの、どの会場も熱心な応援で、僕には問題なく映りました。ボランティアの若者も含めて、とにかく地元の誰もが北京を、中国をよく見せよう、中国の文化を世界に知らせようと一所懸命だったように思います。

現役のころから何回も訪れている北京ですが、オリンピックはこれほど国を変え、人を変えてしまう力があるのかと、改めて感心しました。

 

オリンピックを活用して
東京や日本の文化を伝えたい

さて、東京は2016年のオリンピック招致を目指しています。北京大会に照らしてみると、コンパクトな会場計画やスムーズな運営は、東京も負けてはいないでしょうし、オリンピックを街の近代化やインフラの整備の契機にする必要はありません。参考にしたいのは、北京が熱心に行っていた、オリンピックを活用して文化を発信する姿勢です。

東京や日本の文化は、既に世界に知られていると日本人は思いがちです。しかし、世界は広く、かつての「フジヤマ、ゲイシャ、サムライ」に近いイメージもまだまだ残っています。

それらを払拭し、東京や日本の姿を正しく伝えるには、スポーツの力を借りるのが最も簡単で早いのです。そのためには、まずは僕たちが東京や日本の文化を好きになる必要があります。そして、東京や日本の何を世界に伝えるべきかを考えましょう。伝えたいものを、その都市の住民がきちんと持っているかどうかは、オリンピックの招致に大きく影響するのです。

海外からお客さんを迎えるということで、北京では小学校の授業に英語が取り入れられていました。アテネではオリンピックを学ぶ授業が行われ、シドニーではオリンピック期間中、学校や会社が休みになりました。こうした国を挙げての支援も、招致には必要です。

僕たちは、もっと国のリーダーシップを求めていかなければなりません。そして、オリンピックを招致したいという想いを、もっと発信していく必要があるのではないでしょうか。

 

松岡 修造

MATSUOKA Shuzo
1967年11月6日生まれ。プロテニスプレーヤー。1995年ウィンブルドンで日本人男子として62年ぶりにベスト8進出。オリンピックは、1988年ソウル大会、92年バルセロナ大会、96年アトランタ大会に連続出場。98年に現役を退いてからは、ジュニア選手の育成指導のほか、スポーツキャスターとしても活躍。98年長野冬季大会以来、オリンピック取材多数。JOCでは、スポーツ環境専門委員、国際専門委員のほか、北京オリンピック大応援団「チームがんばれ!ニッポン!」応援団長を務める。

OLYMPIAN 2008より転載


並はずれた体力で力投する上野由岐子選手  photo by AFLO

大きな感動を与えてくれた北島康介選手の2連覇  photo by AFLO

熱心な応援が印象的だった北京の観客
photo by AFLO


北京大会の聖火ランナーとして長野市内を走る photo by PHOTO KISHIMOTO

北京オリンピック大応援団「チームがんばれ!ニッポン!」応援団長として、 日本代表選手団の壮行会に登場し選手たちを激励
photo by AFLO


2007年秋に行われた「2016年東京オリンピック招致決起集会」で司会を担当した松岡さん  photo by AFLO

2016年のオリンピックでソフトボールの復活を訴える、日本、アメリカ、オーストラリアの選手たち  photo by AFLO