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JOC年表

1909 - 1920

(1909年〜1980年はオリンピック事典より抜粋 1981年以降はJOC事務局が作成)

1909年
春 駐日フランス大使ゼラールより、嘉納治五郎に対し、IOC委員になるよう要請
5月27日 第12次IOC総会(ベルリン)で嘉納治五郎、東洋で初のIOC委員に選出される
1910年
IOCと駐日スウェーデン公使サハリンよりIOC委員嘉納治五郎に対し、第5回オリンピック競技大会参加の勧誘状届く
1911年
1月5日 オーストリアのレルヒ大佐が来日し、スキーを指導(1月10日から2月11日)
7月 オリンピック競技大会参加の母体として大日本体育協会設立、初代会長に嘉納治五郎就任
9月下旬 大日本体育協会、羽田競技場でのオリンピック選考予選会のため「競技会応募の檄」を天下の運動家に宣言
11月18日〜19日 大日本体育協会、第5回ストックホルム大会の選考予選会を羽田競技場で開催、費用1527円
1912年
2月15日 第5回ストックホルム大会代表に三島弥彦(短距離)、金栗四三(マラソン)を正式決定
5月5日〜7月27日 第5回オリンピック競技大会(ストックホルム)
5月16日 三島弥彦、金栗四三、大森兵蔵夫妻、新橋駅で壮行会を受け、ストックホルム大会に出発
6日6日 嘉納治五郎、IOC委員としてストックホルム大会に出発
1913年
1月15日 第5回ストックホルム大会に日本代表監督として出席した大森兵蔵、帰途、カルフォルニア・パサディナで病死
1月31日〜2月8日 第1回東洋オリンピック大会に明大野球部と田舎井善次、井上輝二が参加、野球は全勝し、マラソンも勝利
3月21日 オリンピック報告会および大森兵蔵追悼会開催
9月26日 大日本体育協会、規約を改正、国内オリンピック委員会としての性格を規定
10月17日〜19日 大阪毎日新聞社主催第1回日本オリンピック大会、豊中運動場で開催
11月1日〜2日 大日本体育協会、陸軍戸山学校で第1回陸上競技会を開催(以下の大会省略)
1914年
8月10日 大日本体育協会、大森海岸で第1回水上競技大会を開催(以下の大会省略)
1915年
5月15日〜22日 第2回東洋オリンピック大会(上海)、日本選手団、外交上の問題で出発遅れ、途中から出場
6月10日 第3回極東選手権大会(東洋オリンピック)東京で開催が決定
1916年
第6回オリンピック競技大会(ベルリン)第1次世界大戦のため中止
1917年
5月8日〜12日 第3回極東選手権大会、芝浦で開催、日本で初の国際競技会、この回より日本正式参加
5月15日 大日本体育協会、極東体育会に正式加盟
5日20日 大阪毎日新聞社主催日本・フィリピンオリンピック大会、豊中運動場で開催
1919年
3月17日 大日本体育協会、極東体育協会脱退を通告
5月12日〜17日 第4回極東選手権大会(マニラ)に日本青年運動クラブの名義で選手16名を派遣
1920年
8月15日〜30日 第7回オリンピック競技大会(アントワープ)
・熊谷一弥(テニス)が日本人初のメダルとなる銀メダルを獲得

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