/ 選手強化 / TEAM JAPAN DIARY
TEAM JAPAN DIARY

国際総合競技大会

< | 1 | 2 | 3 | >

2011/01/31

アジア冬季大会の開会式を終えた日本代表選手団からコメントをいただきました!

第7回アジア冬季競技大会(2011/アスタナ・アルマティ)の開会式を終えた日本代表選手団のみなさんからコメントをいただきました。

 

開会式を終えて

橋本聖子団長

過去の大会に比べてもかなり盛大な開会式だと思います。カザフスタンの発展に向けた勢いを感じました。この大会を機にアジア地域の国々が、冬季スポーツに関心を持ってもらえるように日本としても尽力していきたいです

小平奈緒旗手(スケート/スピードスケート

このように盛大な開会式に参加したのは初めてですが、緊張せずに行進できたと思います。レースに向けてパワーをもらえた感じがします。

近藤太郎選手(スケート/スピードスケート

このように盛大な開会式のある大会は初めてなので、びっくりしているし、驚いています。緊張はしていないので、とにかく頑張りたいと思います。

若林大季選手(スケート/スピードスケート

思っていたより観客が多く、盛大に迎え入れられてここに日本代表として来ていることを強く感じました。日の丸を掲げられるように頑張りたいです

石澤志穂選手(スケート/スピードスケート

初めてこんな盛大な開会式のある大会に参加しました。観客の方の声援の多さに、競技に向けてのパワーをもらいました。こんなに盛大とは思わなかったので感動しています。

坂爪亮介選手(スケート/ショートトラック

このような総合競技大会は初めての経験。鳥肌が立ち、アドレナリンが出ました。試合に向けてこの気持ちをより高めていきたいです

藤本貴大選手(スケート/ショートトラック
1年前のバンクーバーオリンピックを思い出させるようなわくわく感と程よい緊張感を感じました。この気持ちを維持して競技に臨み、より輝くメダルを持ち帰りたいです



Ceremony04_3
旗手の小平選手を先頭に日本代表選手団入場。
Olympicflame
式の終盤、国内をリレーされた聖火が聖火台にともされた。 
(フォート・キシモト)

2010/11/29

広州アジア大会が閉幕、日本初も含む金メダル48個を獲得

文・松原孝臣

 

16日間にわたって中国・広州で行なわれた第16回アジア競技大会も27日、閉会式を迎えました。場所は開会式と同じ、珠江の小島「海心沙」の特設会場。午後8時(日本時間午後9時)、広州タワーからの花火とともに始まりました。

 

日本は、選手、役員含め約380名が参加しました。開会式のように、帽子を振りながらの行進です。場内に入ると、選手同士で記念撮影をしたり、笑顔を浮かべ、リラックスした雰囲気で過ごしていました。旗手を務めたのは陸上競技の福島千里選手です。やや緊張の面持ちで会場に現れた福島選手ですが、閉会式後には「去年の国体で一度やっただけなので、緊張しました。でもオリンピックへ向けていい経験になりました」と、にこやかに語りました。

 Tr2010112700810 閉会式で旗手を務めた福島選手(共同)

 
 

今大会、日本は、「(2006年の)ドーハ大会の50個を上回る金メダル60個以上」「金メダル数で前回2位の韓国を抜いて2位」を目標に掲げていました。大会を終えて、結果は金メダル48個。獲得順位も、中国、韓国に続く3位。市原則之団長は、結果を受けて、このように語っています。

 

1位の中国はもとより、2位の韓国にも大きく水をあけられる結果となりました。2年後のロンドンオリンピックへの展望を開きたかったのですが、これがアジアの中での日本の力と認識する必要があります」と、厳しい見解を示しました。「打倒中国」を合言葉に挑んだ水泳/競泳は中国の強さを見せつけられ、陸上競技も短距離陣に故障者が出るなどの影響で苦戦を強いられました。

 

しかし、その中でも活躍した選手がいます。苦戦した陸上競技では、福島選手が、100m女子、200m女子で2冠を達成しました。100女子での金メダルが日本選手として44年ぶり、かつ2冠は日本初の快挙です。日本代表選手団主将を務めた村上史選手も、自己記録を更新し金メダルを獲得しました。

 Tr2010112700831 閉会式で記念撮影する金メダルを獲得した村上選手(後列左から2番目)ら(共同)

 

また、フェンシング女子エペ団体は、史上初の金メダルを獲得。これ快挙と言ってよい成績です。さらに、サッカーの男女そろっての金メダル、4大会ぶりに金メダルのバレーボール男子もまた、今回をステップにしたいところです。

 Tr2010112300828 フェンシング女子エペ団体のメンバー(共同)

 Tr2010112600362 優勝を喜ぶバレーボール男子のメンバー(共同)

 

アジア大会では、オリンピックでは行なわれない種目も多く実施されました。これらの種目の選手は、「少しでも日本で認知度が上がるように」と、使命感をもって臨んでいました。例えば、セパタクローの山田昌寛選手は以前、このように言っていました。「セパタクローは、とても面白いスポーツなんです。もっと知ってもらうためにも、いい結果を残したいんです」そのセパタクローは、男女ともに銅メダル。カバディ男子は、初めてのメダルとなる銅を獲得しました。

 Tr2010112700830 記念写真に納まる、セパタクローの佐藤雪絵選手(左端)ら(共同)

 

ソフトテニス女子団体では、正式種目となった1994年の広島大会から数えて初の金メダルを獲得。今大会から採用された新種目、ローラースポーツのアーティスティックスケート男子シングルでは、西木紳悟選手が金メダルでアピールしました。

 Aflo_eyva013552 金メダルを獲得したソフトテニス女子団体のメンバー(アフロスポーツ)

 
 

こうして熱い戦いが繰り広げられた広州アジア大会も、アジアオリンピック評議会(OCA)のシェイク・アハマド会長閉会を宣告。OCA旗と聖火が広州市から次回の開催地韓国の仁川に引きつがれ、聖火は消え、大会は終わりを迎えました。

 

大会は終わりましたが、選手たちの意識は、すでに明日へ向かっています。今大会で納得のいかなかった選手、力を出し切った選手、すべての選手の今後に注目したいと思います。


2010/11/28

新体操 山口7位、大貫8位 26点台の必要性を痛感

文・折山淑美

 

25日に競技が開始された新体操。初日の個人総合予選をねて行われた団体総合で日本は、大貫友梨亜選手と山口留奈選手が4種目、穴久保璃子選手が3種目、小西夏生選手はフープだけの出場。総合得点ではカザフスタンとウズベキスタンに次ぐ3位入賞を果たした。

 

だが個人総合予選として見れば、大貫選手の5位が最高で、山口選手は7位。2人の決勝進出となったが、4種目とも28点台の高得点をずらりと並べたアンナ・アリャビエワ選手(カザフスタン)別格としても、4位までの選手が各種目で26点以上の得点を獲得するレベルの高い争いになった。大貫選手はボールとリボンで26点台を出したが、山口選手はボールの25.8000点が最高。個人総合でのメダル獲得はかなり難しいと思われる結果になったのだ。

 

26日行われた個人総合決勝の第1グループ。日本勢は苦しいスタートを切った。最初にロープで登場した山口選手は、堅実な演技をしながらも、ラストで投げたロープをキャッチできずに落とし、25.400点のスタート。演技後は表情を曇らせた。しかし2種目目のフープでは、ロープでの失敗を吹き飛ばしたような、はつらつとしたキレある演技を見せた。得点は選を大きく上回る25.850点。それで気持ちも乗ると、大きなミスもせずにボールでは25.850点を、最後のリボンでは26.100点をマークした。

 

18歳の山口選手は、今年9月の世界選手権にも初出場したばかり。「ロープで失敗したけれど、そこから気持ちを切り換えて建て直せたのは良かったと思います。外国選手はダイナミックな動きをしているし、上位選手はピボットの回転数も多い。簡単にはそのレベルに行かないとは思うけど、可能性を信じて真剣に取り組んでいきたいと思います」と、2大会続いた貴重な経験で、より高い意欲を持つようになった。

 Tr2010112600698 山口選手のリボンの演技(共同)

 

一方、大貫選手も種目目のフープで、途中でフープをつかみ損ねて何とかキャッチするミスを犯す。そしてその後のピボットターン中には、持ちかえようとしたフープをつかめずに大きく飛ばしてしまった。得点は第1グループ20人中10位の25.000点に。それでも切り替え、次のロープで一度持ち直す小さなミスを犯しながらも予選より高い25.800点を獲得。続くリボンでは全体の4位になる26.250点を最後のボールでも26.100点を獲得して演技を終えた。「最初の種目のフープで失敗したけど、自分の課題として演技の後半がだんだん弱くなってしまうところがあります。それを克服できずに、もう一歩の踏ん張りが足りなくてミスをしてしまったのは悔しいです。でもそれを何とか次の演技までに建て直すことができて……。4種目通してミスなくやることが大事ですけど、今回は最初の失敗から最後には建て直すことができたのは良かったと思います」話す

 

大貫選手は、9月の世界選手権を終えてからは、見ている人の印象に残人を引きつける魅力のある選手になことを課題にして取り組んでいるという。その意味ではまだ途中の段階だ。次のチャンスまでには、自分の存在感を引き出した誰にも出来ないような作品を作り、もっと成長した魅力のある演技を見せたいという。「順位や得点より、自分の演技をパーフェクトにやり切りたいという気持ちで試合に臨みました。それをやり切った時に、得点も順位も付いてくると思っていますから。それを出来なかった種目があったのは残念だけど、課題も見えてきたのでとてもいい経験をさせてもらえたと思います」

 Tr2010112600697 大貫選手のボールの演技(共同)

 

結局、山口選手は予選と同じ7位、最初で大きく出遅れた大貫選手は8位という結果に終わった。アジアでは旧ソ連の流れを引き継ぐカザフスタンやウズベキスタンなどは以前から強いが、今回は韓国の16歳孫延在選手が3種目で27点台、残りの1種目も26.900の高得点を出して3位になった。

 

日本体操協会は今年、世界で10位以内に入るための第一歩として、世界新体操選手権と広州アジア大会の代表選考会として、4回の試合を行うコントロールシリーズを新設26点台を出した選手を優先的に代表に選ぶという方針を取った。ただ自分が満足するノーミスの演技ではなく、世界と戦うためには26点台は最低限必要な点数で、そのためには得点レベル上げなければならない現実るからだ。

 

その戦いを経験した大貫選手はこう言う。「点数ばかりに捕らわれたくないという気持ちはあるし、26点を出さなければ世界選手権へいけないということで苦しい気持ちにもなりました。でもそのなかで、点数を狙いながらも自分のやりたいことや技に挑戦する気持ちも持てたの…。その意味ではコントロールシリーズで鍛えられたのかな、という気もします」

 

今回のアジア大会でも、得点力アップの必要性ははっきりした。自分の表現を磨くこととともに、どうすれば高得点を上げられるかも考えること。それが選手達にとっては、これからの大きな課題となる。


2010/11/28

サッカー男子 前評判を覆しU-21が金 ロンドンオリンピックへのスタートダッシュに

文・Masaki ASADA

 

「本当にメダルりたいなって思うし、優勝して、『オレらでも出来るんだ』っていうところを見せたい。そういう気持ちは選手一人ひとりが強く持っていると思います」しっかりとパスをつないで攻撃を組み立てる、日本らしいサッカーで勝ち上がるで、準々決勝を前にMF水沼宏太選手がそんなことを話していた。

 

日本のサッカー男子において、アジア大会初となる金メダル獲得。その要因が、この言葉に集約されているのではないかと思う。一言で言えば、「意地」である。

 

アジア大会のサッカー男子には、他競技と異なり、出場資格に23歳以下という年齢制限があるオーバーエイジの年齢制限を受けない選手は3名まで加えることができる。

 

だが日本の場合、アジア大会を2年後のロンドンオリンピックへの準備過程と位置付け、21歳以下のチーム、すなわちU−21代表で臨んだ。なぜなら2年後のオリンピックもまた、23歳以下という年齢制限があるからだ。つまり、他の国が23歳以下のチームでオーバーエイジの選手まで加えているとなれば、日本にとっては格上のチームということになる。例えば、韓国、北朝鮮、イランなどがそうした編成で臨んでいた。

 

しかも日本はこの時期、Jリーグが最終盤を迎えており、所属クラブの主力選手は招集できないという事情もあった。その結果、「所属クラブで控えのJリーガー+大学生」という編成になったのである。そうした事情もあって、大会前の評価は低いものだった。アジア大会初制覇を期待する声は皆無だったと言ってもいい。だがしかし、そうした低評価が選手たちを奮起させた。

Tr2010112500379 優勝したサッカー男子のメンバー(共同)

 
 

大会が始まってみると、流れるように人とボールがピッチ上を動き回り、相手チームを翻弄。思わずスタンドからため息が漏れるような美しいゴールを量産した。

 

攻撃だけではない。守備でも5試合連続無失点を含め、全7試合でわずかに失点1。個人能力の高さでねじ伏せるような力強さはないものの、安定した試合運びは、全出場国・地域のなかでも際立っていた。

 

若い選手は、に短期間の大会中で驚くほどの成長見せるものである。こうした国際大会優勝するチームというのは、「大会中に強くなっていく」と表現されることがあるが、まさに今大会の日本がそれだった。国際経験豊富とは言えない選手が多かったが、一戦一戦勝ち上がるごとに自信をつけている様子は、手に取るように伝わってきた。

 

「一戦一戦、自分たちの力を発揮しながら成長してきている。選手個人でもチームでも成長が見られます」関塚隆監督も大会中、そうした手応えを口にすることが多かった。アジア大会に臨むにあたり、チーム立ち上げからわずかに1週間程度の準備期間しかなかったことを考えれば、指揮官の目にも、選手たちの成長があまりに頼もしく映っていたのかもしれない。

 

その一方で、確かに幸運に恵まれた面があったことも否定できない。決勝トーナメントでは、強豪国がことごとく日本とは反対の山に入り、日本と対戦する前につぶし合った。また、準決勝、決勝では、相手の決定的なシュートがゴールポストやクロスバーに当たって救われるという場面もあった。

 

それでも、21歳以下の若いチームが、大会を通じて素晴らしいプレーを見せたことだけは疑いようがない。それは金メダルという結果だけを指してのことではなく、日本が世界と互角に戦っていくために目指すべき「パスサッカー」を実践できていたという意味である。

 

金メダルを胸に水沼選手は言う。「これ(金メダル)を目標にやってきたので、とてもよかった。でも自分が目指すのはオリンピック。この経験を生かして、これからにつなげられるように頑張っていきたい」U−21代表にとって低評価からの猛追撃来年始まるロンドンオリンピックのアジア予選に向けて、これ以上ないスタートダッシュとなった。

 Tr2010112500382 笑顔でスタンドの観客に応えるサッカー男子のメンバー(共同)

2010/11/27

レスリング女子 吉田は金、坂本・浜口は銅、ロンドンへのバネに

文・折山淑美

 

オリンピックでも金メダル有望種目となっているレスリング女子。今回のアジア大会でも当然、複数の金メダルが期待された。

 

だがその最初の階級である25日の48s級では、いきなり苦杯を飲む結果になってしまった。代表は9月の世界選手権で優勝している坂本日登美選手だった。初戦で中国の趙沙沙選手を第1ピリオド73で下して好スタートを切った坂本選手だが、準決勝ではソ・シムヒャン選手(北朝鮮)に第1ピリオド01、第2ピリオド25で奪われ、まさかの敗戦を喫してしまった。金メダル獲得が消滅した瞬間、彼女は泣き崩れた。

 

「今回は北朝鮮の選手もマークしていたけど、中国の選手を一番に考えていました。初戦でその中国選手に勝って気のみがでたかもしれないし、アジア大会という総合大会の雰囲気に飲まれていたのかもしれない。世界チャンピオンだからやらなければいけない、と思い過ぎていたのかもしれない……」試合後考え込むように言う坂本選手は、準決勝で負けた瞬間は3位では意味がないと思ったという。

 

かつては51s級で00年から08年までに6度の世界チャンピオンになっている坂本選手は、一時引退していた。だが、48s級でオリンピック代表を狙っていた妹の真喜子選手09年引退したのを機に、ロンドンオリンピックを狙って48s級で現役に復帰。今年9月にはいきなり世界チャンピオンまで上り詰めていたのだ。

 

だが、優勝して当然と思って臨んだアジア大会での思わぬ敗戦に心が折れかけた。「そんな時に、妹は世界選手権で優勝できなくて何度もこういう気持ちになっていたんだな、と思い出したんです」妹の真子さんからは敗退すると直ぐにメールが来た。そこには「今は下を向いてる時じゃないよ。オリンピックのためにつまずいただけだよ。上を向いて頑張って。日本でいい報告を待ってます」とあった。気持ちを取り戻した3位決定戦は、キルギスのヌルマトワ選手を第1ピリオドで退けて銅メダルを獲得した。

 

「全日本選抜でも世界選手権でも減量はうまくいってたから、もう大丈夫という油断があったのかもしれない。それが負けにつながったと思います」と坂本選手は反省する。女子チームの栄和人監督は、「計量前には500gオーバーしていたが、その後動いて1.1sも減ってしまった。そのために動きが軽くなり、いつもの半分の力になったところを、パワーのある北朝鮮選手に力でやられてしまった」と説明する。だが逆に、簡単に1s以上減量できたということで、これから2年間は48s級でやっていけることを確認できたとも言う。坂本選手にとってこの敗戦は、次のバネになる悔しさを植えつけただけでなく、復帰してぐに世界チャンピオンになったことで生まれた心の隙も埋める、いい機会になったといえるだろう。

 Tr2010112500888 悔しさを隠せない坂本選手(共同)

 Tr2010112500870 3位決定戦に挑む坂本選手(共同)

 

その翌日の26日、相変わらずの強さを見せたのが55s級の吉田沙保里選手だった。誰もが知っているように、オリンピック2連覇と世界選手権8連覇中の女王。初戦から決勝までの4試合を相手に1ポイントも与えぬ圧勝でアジア大会3連覇を果たした。前日は48s級で3位になった坂本選手と話をしていて、「アジア大会やオリンピックで勝つのは大変なことなんだね。ホントに沙保里ってすごいね」と言われ、明日は頑張ろうと思った、と笑顔を見せる。

 

「決勝の相手の張選手(中国)は世界選手権では一階級上で2位になっていた選手なのでちょっ警戒していましたけど、思い切って行けて良かった。ただ第1ピリオドはすごくいい戦いができたけど、第2ピリオドは相手の飛行機投げを警戒してしまったので、少し悔いが残ります。若い選手も力を付けてきているので、もっと勉強して成長しなければいけないと思います」と、勝利に浮かれることはなかった。

 Tr2010112600731 金メダルを獲得した吉田選手(共同)

 

63s級の西牧未央選手は2回戦、敗者復活戦ともに敗れてメダルを逃した72s級の浜口京子選手は銅メダルを獲得。「準決勝で負けて悔しかったでも悔しいという思いが出てきたので、『また勝とう』という気持ちが自分にあるんだなとわかりました。それでロンドンヘ挑戦したいという気持ちが固まりました」と話した。

 Tr2010112600874 銅メダルを獲得した浜口選手(共同)

 

目標の全階級制覇はならなかったレスリング女子だが、選手それぞれが、新たな気持ちを手にすることができた大会になった。


2010/11/27

陸上競技男子やり投 村上幸史が自己記録の83m15で金、目標の85mへ一歩前進

文・折山淑美

 

26日陸上競技男子やり投終了後に、村上幸史選手は「昨日は興奮しましたよ。夜中も寝られなかったくらいですから明るく笑いながら言った。前日の25日、同じスズキ浜松ACのチームメイトでもある海老原有希選手が、女子やり投で優勝していたからだ。

 

海老原選手の優勝は、村上選手を大興奮させるほど見事だった。ライバルは今年も60m台を投げている中国選手2人。ベスト記録は60m84ながら、今年のベストが50m01に止まっている海老原選手にとって、今大会は挑戦だった。だが3投目に59m39を投げてトップに立ち、ふたりにプレッシャーを与える理想の展開に持ち込んだ。そしてそのまま、最後の6投目を控えて優勝を決めると、気が緩んでもおかしくない最終投てきでは61m56を投げ、01年に三宅貴子選手が作った日本記録を41p更新した上、来年の世界選手権の参加標準記録Aまでも突破したのだ。

 

「海老原は今シーズン故障をしてなかなか大会をこなすことができなかったけど、その状態の中、最後の大会で日本新を出して金メダルを獲ったんですから……。それは僕にとっても大きな力になりましたね」世界選手権銅メダリストで、日本やり投界のリーダーとしての自負も持つ村上選手にしてみれば、燃え上がるしかない状況になった。

 Tr2010112600884  村上選手(共同) 

 Tr2010112500972 海老原選手(共同)

 

村上選手は1投目から、気迫のあふれる投てきをした。自己記録では村上選手を上回る朴財明選手(韓国)が先に78m73を投げていたが、村上選手は79m62を投げてトップに立った。「1投目の入りが良かったから、2投目はもうちょっと行けるような感じがしてました」そういう2投目は、力強く最も飛距離が出るような角度にピタリとハマッて夜空に舞い上がっていくような投てきだった。80mラインを大きく超えて、自己記録を5p更新する83m15。

 

3本目までに80mを超えなければ厳しい戦いになると思っていたから、2本目にしっかり狙って投げられたのは良かったですね。たった5pの自己記録更新なんですが、僕にとっては非常に大きな5pだったと思います。今回は勝つことと、来年の世界選手権で勝負できるようになるために冬練習につながる投げをしたいと思っていたんです。それをふたつともクリアできましたから。それに、陸上ではまだ男子が金メダルを獲っていなかったから、どうしても獲りたかったですからね」

 

こう言って安堵の表情を見せる陸上競技勢は前日の25日までに金メダルを獲得したのは、女子100mと200mの福島千里選手と女子やり投の海老原選手だけという状態だった。男子初の金メダルという期待が、彼の右腕に懸かっていたのだ。

 

その上、今回のアジア大会で村上選手は、日本選手団の主将という大役も担っていた。そんな責任もあるからこそ、陸上競技の日本チームが苦戦している状況で、是非とも金メダルを獲りたかった。それを彼は、たった2回の投てきで実現したのだ。「世界選手権でメダルを獲ってから、経験させてもらっていることがたくさんあるんだなと感じてますね。今回のアジア大会も僕にとっては非常に重みのある大会でした。いろんな重圧がある中で臨んだ大会だったからこうして結果を出せたことで、人間としても少し成長できたと思うし、ごいと言われる選手たちに少しだけ近づいたのかな、と思いますね」

 

大会前は、もしアジア大会で金メダルを獲っても、昨年の世界選手権で銅メダルを獲った時ほどの嬉しさは感じないだろうと思っていたという。だが実際に手にしてみると、世界選手権の時より嬉しかったのでビックリしたと笑う。それだけ彼の、この金メダルに懸ける思いが強かったということだろう。

 

世界で戦うためにも、アジアでトップになることが必要不可欠だという思いも強かった。「優勝を決めた2投目の投てきは、去年の世界選手権で初めて83m台を投げた時の感覚に近かった気がしますね。投げ終わった途端に『これは行ったな』という確信めいたものもありましたから」

 

ここで83mを投げたことで、世界と対等に戦うために必要だと考え長い間目標にしている85mへ大きく近づいたという手応えも得た。「85mは、来年4月の日本選抜陸上和歌山大会できっと投げられますよ」村上選手は明るい声で、高らかに宣言した。

 Tr2010112600865 村上選手(共同)


2010/11/27

ローラースポーツ 西木がトリプルアクセル失敗も演技力で金メダル、世界選手権へ意欲

文・折山淑美

 

「ダメですよ。最初のトリプルアクセルも練習では成功してたのに失敗してしまったし。メダルは無理でしょうね。せっかく来てくれたのに本当にすみません」演技を終えた西木紳悟選手は、申し訳なさそうな顔をして弱気な言葉を口にした。26日に行われたローラースポーツ男子アーティスティックスケートのシングルフリー。前日のショートプログラムで1位になっ西木選手。この日のロングプログラムは第2グループの1番滑走だった。

 Aflo_uama006620 魅力ある演技でショートプログラム1位となった西木選手(アフロスポーツ)

 

般的にはなじみが薄いローラースポーツのアーティスティックスケート。足に履くのは4輪のローラースケートで、滑るのはフローリングの上。スケート氷の上ではないということ以外は、フィギュアスケートとまったく同じことをやる競技なのだ。

 

9歳の時に地元の徳島市のローラーフィギュアクラブでこの競技と出会って以来、西木選手はずっとローラースポーツを続けてきた。アーティスティックスケートは、南米とヨーロッパが強いという。この種目で彼は、08年の世界選手権は10位に。097月にチャイニーズ・タイペイで開催されたワールドゲームでは、トリプルアクセルを跳んで5位になっている。アジア大会で初めて採用された今回、彼はその実績から優勝候補の筆頭と誰もが認めていた。

 

だが、初めて経験する大舞台での試合にプレッシャーは大きかった。最大の武器である冒頭のトリプルアクセルが、両足着地になる失敗となった。その後は連続3回転ジャンプの後の3回転フリップでバランスを崩して焦ってしまい、コンビネーションを予定していた最初の3回転ループで転倒。さらに、終盤のダブルアクセルでも転倒してしまったのだ。得点は253.8で、前日のショートプログラムとの合計は338.7点。

 

3回転フリップでバランスを崩したあとは、演技が曲からズレてしまって、ヤバイ、ヤバイと思って滑っていたんです。ダブルアクセルも、練習でも失敗したことがないのに今日は失敗してしまって…。今までの試合の中で一番残念な結果ですね。プレッシャーに負けてしまったことが悔しいです」演技直後にこう話していたが、その後の選手の得点もなかなか伸びず、3位以内、2位以内とどんどん金メダルに近づいていく。

 

最終演技者は西木選手が強敵だという葉家成選手(チャイニーズ・タイペイ)。だが、ジャンプはほとんどをきれいに決めたものの、その得点は思ったほど伸びず248.4で合計330.3点とどまり、西木選手の優勝が確定した。驚きの表情をした彼に優勝の感想を問うと、何度も「申し訳ないですよ」と答えた。自分は失敗しているし、他の選手も頑張っているから優勝はできないものだと思っていたと。

 

だが演技を見てみれば、ジャンプこそ失敗しているが、サーキュラーステップやストレートラインステップ、つなぎの滑りの質は他の選手とは違っていた。スピード感豊かでキレのいい滑り。「そこが自分の売りなんです」ともいう滑りと表現力は見事だった。

 

会場となったベロドロームを埋めつくした観客も、そのことをよく分かっていた。彼のステップが始まるとその迫力に声を殺したまま見つめ、音楽が一瞬止まる場面で西木選手動きを止めると一斉に拍手が沸きがった。そして再び響き出した音楽とともに彼が動き出すと、歓声まであがった

 

んな反応は、5人の審判が出した得点にもれていた。葉選手の芸術点の最高点が8.3点だったのに対し、西木選手のそれは8.7点。「初めてこういうオリンピックのような大会に出られて嬉しいですね。その大会で金メダルを獲ったということで、日本の人たちにも喜んでもらえるだろうし。この結果でローラースポーツがみんなに知られるようになれば嬉しいですね」

 Aflo_veib015735_2 金メダルを胸に喜ぶ西木選手(中央)(アフロスポーツ)

 

西木選手来春大学を卒業してからは保育園に勤めることになっていて、競技が続行できるかどうかは不確定な状況だという。競技を続けられる環境であれば、まだ続けたいとも。しましまだ、その道は見えてきていない。「まずの目標は12月の初旬にポルトガルで開催される世界選手権ですね。以前は跳んでいた人もいたけど、去年からは試合でトリプルアクセルを跳んでいるのは僕ひとりだけなんです。そこでしっかりトリプルアクセルを決めて、ひと桁順位には入りたいと思っているんです」西木選手は、満面の笑みを浮かべながら話した。


2010/11/26

非オリンピック競技にとって最高の舞台で、メダル獲得の活躍

非オリンピック競技にとっては最大の国際総合競技大会となるのがアジア大会。4年に一度行われるアジアのオリンピックとして、非オリンピック競技の選手たちは最高の成績を目指します。今回の広州アジア大会でも、ビリヤードやダンススポーツなど多くの競技でメダルを獲得。素晴らしい戦いぶりを見せています。

 

■決勝で日本が対決、ビリヤード

 

ビリヤードの男子カラム3クッションシングルスは、準決勝で、鈴木剛選手がモンゴル選手を、甲斐譲二選手が韓国選手を破り、ともに決勝進出を果たしました。日本人対決となった決勝では、鈴木選手が40-37で、今大会参加選手の日本最年長である54歳の甲斐選手に勝ち優勝。鈴木選手が金メダル、甲斐選手が銀メダルを獲得しました。

 Tr2010111700708 鈴木選手(左)甲斐選手(共同)

 

■ダンススポーツ、5組が7つのメダルを獲得

 

広州アジア大会で新競技となったダンススポーツ。社交ダンスを競技化したもので、将来のオリンピック実施競技を目指して客観的な採点基準を取り入れようと、今大会から2人の動きのバランスや音楽性、振り付けなどの項目ごとに得点をつける新採点方式が導入されました。種目は、スタンダード(5ダンス、ワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、クイックステップ)とラテン(5ダンス、サンバ、チャチャチャ、パソドブレ、ジャイブ)に分かれます。

 

ダンススポーツのオリンピック実施競技を目指している国際ダンススポーツ連盟は1997年にIOCに承認され、約90カ国・地域が加盟。日本競技人口5万人と、裾野が広い競技となっています。

 

スタンダードでは石原正幸選手・久保斐美選手組が活躍。ワルツとクイックステップで銀メダルを獲得しました。またタンゴでは小嶋みなと選手・盛田めぐみ選手組が銅メダル、スローフォックストロットでは貫名強選手・柴原まりこ選手組が銅メダルとなりました。

 Tr2010111300838 石原選手(右)・久保選手組(共同)

 

ラテンでは、久保田弓椰選手・久保田蘭羅選手組が、5ダンスで銀メダル、ジャイブで銅メダルを獲得。またサンバで正谷恒樹選手・齋藤愛選手が銅メダルに輝きました。

 Tr2010111400696 久保田弓椰選手(右)・久保田蘭羅選手組(共同)

 

■カバディ男子、クリケット女子、セパタクロー男子、力を合わせ銅メダル

 

広州アジア大会の新競技になったクリケット。イギリスで発祥したスポーツで、英国文化圏であるインドパキスタンなどでも人気のあるスポーツです。野球に似た球技で、試合の間にティータイムがあるなど優雅な紳士・淑女のスポーツといった雰囲気。日本クリケット女子は、3位決定戦で中国に66-65で競り勝ち、銅メダルを獲得しました。

 Tr2010111900690 銅メダルが確定し駆け出すクリケット女子のメンバー(共同)

 

カバディは、南アジアを中心に盛んな競技で、1990年の北京アジア大会から採用されました。日本では仏教系の大正大学が力を入れており、選手の多く僧侶が占めています。男子のみの派遣となった日本、準決勝で、6連覇を目指すインドに17-52で敗れたものの、銅メダルを獲得しました。

 Tr2010112400865 メダル獲得を決めて喜ぶカバディ男子のメンバー(共同) 

 

マレーシアやタイなどの伝統スポーツ原形になったとされているセパタクロー。日本の競技人口は約2000人とまだ少ない。日本からは男女各9人の選手が参加。男子チームでは大会4連覇を果たしたタイに準決勝で0-2で敗れたものの、見事銅メダルを獲得しました。セパタクローは2020年のオリンピック実施競技を目指し、国際セパタクロー連盟(ISTAF)2011年から、アジア各国を転戦するスーパーシリーズと、2年に一度のールドカップを開催。競技の国際化を図っています。

 Tr2010111900734 セパタクロー男子団体の準決勝(共同)

 

■新種目に注目集まる ドラゴンボート、チェス・ウェイキ(囲碁)

 

広州アジア大会で新種目となったドラゴンボート、チェス・ウェイキ(囲碁)などにも注目が集まりました。

 

ドラゴンボートは、竜の頭と尾のデザインをした全長12mのボートにこぎ手20人と太鼓手、かじ取りの計22人が乗りパドルをこぐ競技。兵庫県相生市の看護専門学校卒業生らで作る「磯風漕友会」のメンバーが、病院勤務の合間に練習を重ねてきました。男子1000mでは、7〜10位決定戦で3分51秒588で8位、500mは7〜11位決定戦で1分51秒611をマークし7位となりました。そして250mは決勝に進出し、52秒947で6位の成績を残しました。

 Tr2010111800717 男子1000mで8位になったドラゴンボート(共同)

 

また頭脳スポーツとして今大会で採用されたチェス・ウェイキは、日本の伝統文化である囲碁と共通することから、その活躍が期待されました。本因坊のような国内のタイトル戦とは異なり個人戦はなく、男子団体(5人)、女子団体(3人)、男女が交互に打つ混合3種目が実施される。文化人ではなくスポーツ選手として扱われることの戸惑いやルールの違いなどもありましたが、混合では、結城聡選手・鈴木歩選手組が9位、尾紳路選手・向井千瑛選手組が10位となりました。

 Tr2010112100672 結城選手(右)・鈴木選手組(共同)

 Tr2010112100670 尾選手(右)・向井選手組(共同)


2010/11/26

ハンドボール女子 韓国との接戦制す、ロンドンオリンピックへつながる1勝に

文・折山淑美

 

予選リーグ最終戦で、中国に19対25で敗れてB組2位だったハンドボール女子。25日の準決勝はA組1位通過で、アジア大会では5連覇中の強豪・韓国との対戦になった。「個人の技術やシュート力、国際大会の経験などは韓国の方が上。日本は守りを固めて組織力で戦い、ロースコアのゲームに持ち込む以外に勝つ方法はない」それが試合前に、黄慶泳監督が選手たちに出した指示だった。

 

試合の前半、日本チームはその指示通りに守り抜いた。開始早々に藤井紫緒選手が立て続けに2点を決めて先行すると、しっかり守ってからの速攻というスタイルに徹し、55の同点にされた9分過ぎから18分にかけては、5点を連取して10対5と差を広げた。その後も韓国の攻撃を守り抜いて失点を最小限に抑え、前半を15対11で終えたのだ。後半に入ってもその勢いは衰えず、40分過ぎには20対12と8点差となり、韓国は焦りからのミスも出て一気に追い上げられない状況が続いた。

 Tr2010112500718 シュートを決める藤井選手(共同)

 
 

だがそんな韓国が、持っている底力を発揮し始めたのは49分過ぎからだった。日本が26点目を取って26対18にした直後に、19点目を取り返す。そこから3連続得点と4連続得点を決め、56分過ぎには27対25と2点差まで迫ってきたのだ。「前半は良かったけど、相手は格上だから後半で絶対に追い上げてくるというのは想定していました。練習でも点を取れない時間帯をどうするかということをしっかりやっていたので、あの時はみんなも『ここがその時なんだ』という気持ちになっていたと思います。そこでみんなが頑張って攻撃でボールをつなぐこともできたと思います」と、東M裕子選手は話す。

 

その間、キーパーの藤間かおり選手7mスローを防ぐ好セーブもあった。そんな選手達の粘りは、日本が取ったタイムアウト直後の、藤井選手の28点目につながった。さらにその後26点、27点と連取されて58分には1点差まで迫られたが、焦る韓国は日本ゴールに攻め込みながらも、パスミスでチャンスをつぶす場面もあった。すると日本は残り15秒になったところで、東M選手が空中でパスを受けてゴールを決めるスーパーシュートでもたつく韓国を再び突き放した。

 

それでも韓国は王者の意地を見せ、残り44秒に28点目を入れて1点差に迫り、最後の猛攻を見せた。だが最後は韓国選手が放ったシュートが、日本のディフェンスの腕に当たって場外で出たところでタイムアップ。日本は1点差を守り抜き、29対28で勝利して、決勝進出を決めた。「勝つことしか頭になかったので、1点差に迫られてからの29点目も『絶対に勝つんだ』という気持ちでシュートしました」と東M選手は笑顔を見せた。

 Tr2010112500720 韓国の猛攻をセーブ(共同)

 Tr2010112500724 勝利を喜ぶメンバー(共同)

 

選手には守る時には相手選手の利き腕側に寄り、逆側しか使えないように追い込むことを指示しました。それに真ん中をしっかり守って、外側へ外側へと追い込むようなデイフェンスをするように言いましたが、みんなそれを忠実にやってくれたと思います。韓国は11の攻撃で来ることが多いチームですが、今回の日本は空間大きく使うクロスプレーをしながら個人を使うという、ヨーロッパスタイルをミックスしたような形で戦ったので、韓国選手は日本選手をつかみにくかったんだと思います」黄監督は勝因をそう説明する。

 

藤井選手は「私たちのモットーは守ってからの速攻。それがすごく機能して、前半を守りきれたことが良かったと思います。とにかく、気持ちでは絶対に負けないという思いで臨みました」とう。また植垣暁恵選手も「今年の4月から韓国に勝つことだけを目標にしてやってきました。それが達成できたことは嬉しいですね。最初から一人一人が積極的立ち向かっていてシュートも打っていたので。キーパーも7mスローを何本も止めてくれたし、今日の試合はチームの気持ちが全部出たと思います」という。

 Tr2010112500719_2 シュートを決める植垣選手(共同)

 

守りの立役者となり、7mスローを4本中2本止めるなどスパーセーブを連発したキーパーの藤間選手はこう言う。「私ひとりでは国際大会は戦えないから。キーパーは3人いるし、途中で先輩の田代(ひろみ)さんが交代してつないでくれたから助かりました。今日は16人全員で戦っているという実感がありました。それに最後の7mスローを止めたのも、黄監督からの指示通りに思い切って行ったら止められたんで。アップ中の黄監督を見ていても、母国である韓国ではなく私たちのために指導してくれているのをすごい感じたから、選手みんなが絶対にやらなければと思っていました。本当に黄監督のためにも韓国に勝てて良かったと思います」

 

来年の10月にはロンドンオリンピック予選が控えている。その大きな目標にのためにも、ここで韓国に勝っておきたかった。「ここで負けたら次が見えなくなってしまう。その意味でも韓国に勝つことを目標に練習してきたから、この勝利で次も見えてきたと思います」と選手の誰もが口にする。

 

準決勝で勝利した日本は26日の決勝で、カザフスタンを下して勝ち上がった中国と対戦することになった。予選リーグでは敗れているが、植垣選手は「1回負けているけど、負けた原因もわかっているので。そこを修正し、思い切ってチャレンジするつもりでやっていく」と決意を見せる。韓国戦の勝利は、日本チームを大いに勢いづかせる1勝となった。


2010/11/26

アーチェリー女子はメダルに届かず、ロンドンオリンピックに向けて誓いの涙

文・高野祐太

 

昨年の世界選手権団体で銀メダルを獲得したアーチェリー女子が、団体は準々決勝敗退、2人が決勝トーナメントに進んだ個人でもエースの松下紗耶未選手が準々決勝敗退、齋藤彩香選手が1回戦敗退に終わり、目標のメダルには届かなかった。だが、競技最終日の23日に流れ落ちた2つの涙には、ロンドンオリンピックでの活躍への誓いが込められていた。

 

■北京オリンピックの出場逃し、這い上がった松下選手

 

個人戦の決勝トーナメント2回戦以降は交互に3射を5セット行い、セットごとに勝者に2点、同点で1点ずつが与えられ、その合計点で争われるという新ルールで行われた。ロンドンオリンピックでも採用される方式での戦いは、スピーディーに展開されていく。2回戦を7―1で勝ち上がった松下選手は、国際大会にほとんど出て来ない北朝鮮選手と対戦。第1、2セットは互角だったが、第3セットで松下選手の3射目が10点満点中の7点となり、劣勢に。続く第4セットの2射目でも再び7点を出してしまい、最後は相手の10点でとどめを刺された。

 

「まっすぐ引いてまっすぐ打つ。思い切って打つことだけを考えていた。でも何でか、自分の打ちたいようには打てなかった」。肩を落として試合場を後にする。周りの慰めに、目頭が熱くなった。個人戦では初めて流した涙だった。それは、自分のためであり、応援してくれる多くの人たちのためでもあった。

 

訳がある。22歳で出場を果たしたアテネオリンピックは、思いのほか松下選手を苦しめた。オリンピック選手に対する周囲からの視線は一変し、それに見合うように「しっかりしなければと、変に意識過剰になった」。心も技術もバランスを崩していき、北京オリンピックを逃してしまう。アーチェリーを辞めることまで考えた。だが、見守ってくれる人たちの支えがあって、「どん底から這い上がってくればいい」と思えるようになった。

 

そして、エースとして戦った昨年の世界選手権での大きな成果。関政敏チームリーダーが「不死鳥のようによみがえった」と讃える復活劇だった。「今は、周りの目は全然気にならなくなりました。そこの成長は自分でも認めてあげたいし、苦しい時期があったからこそ、ここまで来れたのもあるし。感謝というか、その経験はよかった。応用力が付きました」。もう、日本を代表するアーチャーとして前進することに迷いはない。「こうやって個人戦で泣けたのは、まだ続けられる証拠。自分がそういう気持ちを持っていることを改めて気付いた大会でした」。

 Pkb10y19_0831 松下選手(PHOTO KISHIMOTO)

 

■齋藤選手は意気込みが気負いに

 

もう1人の決勝トーナメント進出者、齋藤選手は「勝てる予定だった」(松木裕二コーチ)格下相手に敗れると、思わず涙をこぼした。直前の練習では、時間を掛けずにリズム良く打っていく課題がうまく出来て「絶好調と言うくらい」だった。

 

ところが、試合が始まってみると、この大会に懸けていた意気込みが気負いになったのか、急に緊張が襲う。「周りを気にして自分に集中できなかった」。まだ日本チームのトップに立っていない自覚を持つ一方で、今大会は個人戦で金メダルを狙っていた。今夏のワールドカップで9位に入った実績も自信になっていた。このとき、3試合目に敗れたが強豪と接戦を演じることができた。まだ20歳。初めての国際総合競技大会での経験は、必ず肥やしにするつもりだ。「精神面や打ち方の向上に取り組んでいます。次の目標はロンドンオリンピックです」と力強く言った。

 Pkb10y19_0730 齋藤選手(PHOTO KISHIMOTO)

 

■アーチェリー男子

 

女子の分も、そして準々決勝で敗退した団体の分も、と臨んだ翌24日の男子個人だったが、アジアの壁は厚かった。「明日はメダルを獲りますよ」と関政敏チームリーダーが語っていたものの、天野良太選手は準々決勝で予選ラウンドを世界新で1位通過した韓国の金優鎮選手に0-6、古川高晴選手も同じく準々決勝で中国選手に2-6で負け、4強入りを逃した。天野選手が対戦した金選手が優勝だった。

 

天野選手は「相手(金選手)がうまかった。根負けした感じ。今日の準々決勝の金選手みたいに安定感を出せるようにしていきたい」、古川選手は「なかなか10点に入らなかった。予選はいい点数が出て成長していることが分かったが、トーナメントで勝てるように精神面を鍛えていきたい」とそれぞれ誓った。男子も女子同様、2年後のロンドンオリンピックをターゲットにした強化策が求められる。

 Tr2010112400711 天野選手(共同)

 Tr2010112200665 古川選手(共同)


< | 1 | 2 | 3 | >

CALENDAR

2011 / 03
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31