OLYMPIAN2017
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09とにかく上昇し続けたいという気持ちでいます。——2月の韓国・江陵での世界距離別選手権500mでは日本新記録が出ました(※)。小平 氷の状態が記録に影響するので、ベストの状態でベストの滑りができるといいです。オリンピックと同じ会場で国歌を聞けたことは、最高のイメージトレーニングになりました。——平昌オリンピックでは複数種目での活躍を期待しています。小平 はい、頑張ります!(※2週間後にカナダ・カルガリーで行われた世界スプリント選手権でさらに記録を更新。)小平 特にないですね。オリンピック最初のレースだった500mは12位という衝撃的なデビューで、悔しさしか残りませんでした。1000m、1500mで5位と、徐々に成績を上げていけたことは、オリンピックの中で成長できた貴重な経験だったと思います。パシュートの銀メダル以上に、オリンピック期間での成長が今の自分を支えています。——4年後のソチオリンピックでもメダルを狙っていたと思うのですが、個人種目は思うような成績を残すことはできなかったのではないでしょうか。小平 バンクーバーオリンピックからソチオリンピックまでの4年間は、肉体的にも精神的にもやれる限りの全てをやった感じがしていましたが、成績にはつながらなくて……。実力通りの成績で、「実力が足りない」というのを実感しました。——バンクーバー、ソチ、そして平昌へ向けたステップが、今シーズンの素晴らしい活躍につながっていると感じます。インタビューの冒頭で、「スピードスケートの面白さ」に触れていましたが、小平選手が感じる魅力はどんなところでしょうか。小平 自分の滑りが噛み合ったときのスピード感や、その結果としての記録、ゴールしたときの観客の歓声、特にどよめきが起きるようなレースができると本当に気持ちがいいです。全てが噛み合うと、滑っていて「どんなタイムが出るだろう」というワクワク感がありますね。気持ちのいい選手に——これまでに、オリンピックならではの思い出などはありますか?小平 ソチオリンピックの選手村の食堂でご飯を食べていたときに、フィギュアスケート男子のフィリピン代表選手(マイケル・クリスチャン・マルティネス選手)が「ピンバッジを交換しよう」と話しかけてくれたんです。先日の四大陸選手権をテレビで見ていたら彼が出ていて、「すごくスケートが上手になっているなぁ」ってビックリしました。さまざまな国の選手と交流できるのも、オリンピックの魅力ですよね。——スピードスケートで憧れの選手は誰かいるのでしょうか。小平 たくさんいますが、一番憧れていた選手はカナダのシンディ・クラッセン選手です。トリノオリンピックで5つのメダルを取ったんですが、一人で黙々とスケートに打ち込み、リンクから上がればすごく謙虚で人として尊敬できる選手でした。——JOC選手強化本部が掲げるスローガン、「人間力なくして競技力向上なし」の体現ですね。小平 はい。クラッセン選手のように強くて、しかも見ていて気持ちのいい選手になりたいと思います。勝っても負けてもお互いをリスペクトできるような選手になりたいです。——他のスポーツから影響を受けることはありますか。小平 ソチオリンピック後の夏に、レスリングの吉田沙保里選手、伊調馨選手、浜口京子選手と1日だけ一緒に練習させていただいたんです。3人ともそれぞれ性格が違うのですが、強い選手は人に譲れない何かを持っているなと感じました。練習では組み合って押し合いのようなこともやりました。脚は私の方がガッシリしていても、上半身を持っていかれて全く太刀打ちできなかったです。2人ぐらい背負って坂を登るトレーニングでは、背負うだけなら私も脚は強いので簡単に登れるんですが、前に抱えるとなると腕が耐えられず、体幹や上半身が弱いことに気づかされました。——夏と冬のスポーツの垣根を越えた交流もいいですね。最後に、平昌オリンピックまでどのように過ごしていきたいですか。小平 一言で言えば、「駆け抜けていきたい」です。どこがピークとかではなく、小平 奈緒(こだいら・なお)1986年5月26日生まれ。長野県出身。2人の姉の影響でスケートを始める。2001年中学2年時に全日本ジュニア選手権スプリント部門で史上初の中学生王者となる。06年信州大学2年時に全日本スピードスケート距離別選手権1000mで優勝。10年バンクーバーオリンピックでは女子チームパシュートで銀メダルを獲得し、1000m、1500m で5位入賞。14年ソチオリンピックでは500mで5位入賞。14-15シーズンのISUワールドカップでは500mで総合優勝。17年2月、世界距離別選手権の500mで金メダル、1000mで銀メダルを獲得。同月、札幌アジア大会では500m、1000mの2冠に輝く。さらにカルガリーの世界スプリント選手権では世界記録で総合初優勝。16-17シーズンのワールドカップでは500mで8戦全勝で総合優勝を果たした。相澤病院所属。

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