OLYMPIAN2017
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08野オリンピックは印象にありますか。小平 長野オリンピックは小学5年の冬でした。長野県内の小学校は1競技を観戦することができたんですが、私の学校で行ったのはスキー・ジャンプでした。残念ながら飛んでいる選手が遠すぎて、オリンピックの雰囲気は感じられなかったんですが、テレビで見たスピードスケートはすごく強烈に記憶に残っています。清水宏保選手が金メダルと銅メダルを、岡崎朋美選手が銅メダルを取ったシーンは鳥肌が立ちました。「私も将来あの舞台に立ちたい」というイメージが鮮明になり、オリンピックをすごく身近に感じたのが長野オリンピックだったと思います。——オリンピック初出場は2010年バンクーバーオリンピックでした。見たイメージと、実際に体験したオリンピックは何か違いましたか。小平 実際に自分で出て体験した方が感動は強いです。一方で、日本代表選手としてオリンピック期間に実力を出し切ることの難しさを感じました。またオリンピックは、私の周りで支えてくれている人たちの輪を広げることも強く感じました。——団体戦のパシュートでは銀メダルを獲得しました。オリンピックメダリストになったことで何か変化はありましたか。オランダでの武者修行——平昌オリンピックを来年に控え、小平選手は素晴らしい成績を残していますが、ご自身は現状をどうとらえていますか。小平 ソチオリンピック以降、目の前の課題を一つ一つクリアしていく先に、オリンピックがあるといいと思ってきました。その結果が、今シーズンそして来シーズンの成績につながっていくと思っています。——課題はどういったものなのでしょうか。小平 ソチオリンピックの後に、オランダへ2年間単身留学しました。ただ勝つだけじゃなく、スケートというスポーツを極めたいという思いがあり、スケートと縁が深いオランダでスケートの面白さと自分の体や技術の進化を楽しみながら、自分の可能性を広げたいというところが課題でした。——オランダ留学のきっかけは何だったのでしょうか。小平 何年も前から海外でスケートを学びたい思いがありました。日本で基礎的なことを積み重ねて、いろいろと分かってきた時期でしたので、オリンピック後にオランダに行こうと思いました。ソチオリンピックでオランダが23個のメダルを獲得したからではなく、世界的に見てもスケートに関して歴史の深い国だったので、そこで学びたいと思ったのが理由です。——オランダで学び、自分の中で一番変わったところはどこでしょうか。小平 海外の文化、価値観、練習に対する考え方、生活の中での心の持ち方など、さまざまな違いを学んだことが一番かなと思います。人に与えられるものは有限だけど、求めるものは無限だなということもすごく感じました。オリンピックの経験——スケートを始めたきっかけは何だったのでしょうか。小平 私は3姉妹の末っ子で、年齢が5歳と4歳離れている姉がいるのですが、その姉たちが入っているスケートクラブに親が連れて行ったのがきっかけです。スケート靴を履かされて、氷の上に野放しにされたのが最初でした(笑)。——小平選手は長野県出身ですが、長Photo/尾関 裕士

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