OLYMPIAN2017
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20アジア大会の銅メダル獲得——右ひざの手術から2015年に3シーズンぶりの復帰を果たし、札幌アジア大会ではモーグル2種目で銅メダルを獲得しました。振り返っていかがですか。伊藤 今シーズンの中で2番目くらいに良い滑りができていたと自負していますし、自信につながりました。4年前の世界選手権のときに銀メダルを取ることができましたが、やはり平昌オリンピックでは君が代を流したいという気持ちがすごく強いです。そのためにどういう練習が必要なのか、今からしっかり準備したいと思っています。——伊藤選手が最初にオリンピックを意識したのはいつごろですか。伊藤 長野オリンピックの(里谷)多英さんが金メダルをとった試合です。ワールドカップや世界選手権とは、明らかに選手たちの喜び方が違っていました。私も絶対に出られるはずだし、出たいと思いました。小学6年のときの卒業文集で「15年後何をしていますか?」という欄があったのですが、「冬季オリンピックに出ています」と書いたのを覚えています。——トリノオリンピックでそれが現実となりました。実際にオリンピックに出場して、一番印象に残っていることは何でしょうか。伊藤 ワールドカップや世界選手権など、いつもの試合と出場している選手は変わらないのに、みんなの空気感や顔つきが変わっていました。自分は予選を通過したことで安心していたのか、決勝では周りの雰囲気があまりにも違って、怖くなってしまって。その結果、大きなミスをしてしまいました。——その経験を経て、バンクーバーオリンピックではより強い気持ちを持って臨まれたんですね。伊藤 トリノの経験もありましたし、バンクーバーの前に世界選手権でメダルを獲得していたので、実はもう少し勝負できるかなと思っていたんです。でも、オリンピックの予選ですごく緊張してしまい、どうしたらいいか分からなくなって、大泣きしてしまいました。そこで私はバンクーバーが終わっても競技を辞めないし、決勝はミスがあってもOK、次の4年の始まりの1本にしようと気持ちを切り替えました。そうしたら、その日の中では一番いい滑りができました。4度目のオリンピックへ——伊藤選手自身が感じるモーグルの面白さや魅力は何でしょうか。伊藤 屋外競技ですし、雪質もコースも天候も全て毎日違うんですよね。特にモーグルは採点競技なので、その日一番カッコいい滑りをした選手が勝てるということなんだと思います。3度もオリンピックに出ているからこそ分かるんですが、空気感が変わるときがあるんですよね。そのとき、私たちに何ができるかって、とにかく一生懸命やり切るしかない。攻撃の手を緩めたら周囲の雰囲気に飲み込まれてしまうので必死に「私が一番カッコいいんだ」と思って滑り続けるしかないと思っています。——平昌オリンピックに向けて、どのようなプランを考えていますか。伊藤 オリンピックに向かって行こうというよりは、表彰台に立ちたいとか、ワールドカップに勝ちたいという気持ちがすごく強いです。ソチオリンピックの後、1年間休んで頭を冷やすことで、いろいろなものが見えてきました。今が一番オリンピックに対して前向きな気持ちでいられているのかなと思います。——改めて4度目の挑戦となる平昌オリンピックに向けての意気込みをお願いします。伊藤 失うものは何もないので、失敗を恐れずチャレンジする精神で挑みたいですね。トリノもバンクーバーも、家族や友人などたくさんの方が応援に来てくださいました。予選通過できなかったらどうしよう、いい滑りを見せられなかったらどうしようという気持ちが強かったんですが、ソチのときに最悪なケースを経験したので、もうなくすものは本当にないです。でも、ただ滑るだけではなく勝負がしたい。現地に入ってもいろいろなことを考えると思いますが、最善と思える方法を選択できる強い自分を、そしてオリンピックという素晴らしいムーブメントを楽しめる自分をつくって臨みたいと思います。伊藤 みき(いとう・みき)1987年7月20日生まれ。滋賀県出身。両親の影響でモーグルを始める。14歳で日本代表入りを果たし、高校生のときに、トリノ大会でオリンピック初出場。2014年にはワールドカップ初優勝、世界選手権では2種目で銀メダルを獲得。ソチオリンピックでは右ひざを負傷し棄権。15年12月に復帰し、17年2月札幌アジア大会では2種目で3位入賞を果たす。北野建設(株)スキークラブ所属。失敗を恐れずチャレンジする気持ちAthlete‘s Voice2017 SAPPORO ASIAN WINTER GAMESText/編集部伊藤 みきスキー・フリースタイルMiki ItoPhoto/編集部Photo/PHOTO KISHIMOTO

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