大会

第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)

バレーボール

見どころ

全日本女子のこれまでのオリンピック

 全日本女子は1964年東京大会で女子バレーが正式種目になって以来、JOC自体が不参加となった1980年のモスクワ大会と、オリンピック最終予選で敗退した2000年シドニー大会を除くすべてのオリンピックに出場している。

 過去、金メダル2回(1964年・東京、1976年・モントリオール)、銀メダル2回(1968年・メキシコ、1972年・ミュンヘン)、銅メダル1回(1984年・ロサンゼルス)と計5個のメダルを獲得している。1980年代以降は中国、キューバ、アメリカ、イタリア、ブラジルなどの台頭と、欧州の伝統国の厚いカベの前に苦戦が続く。体格的に恵まれていない日本は技術だけではそれらの諸国に対抗できなくなってきた。

 アテネ大会、北京大会とここ2大会での成績はともに5位。メダルまであと一歩の成績に甘んじているが、眞鍋政義監督就任後2010年世界選手権で銅メダルを獲得。世界ランキングでも3位(2012年1月4日付)に上がり、世界と互角に戦えるチーム力を備えている。

全日本女子チーム紹介

 2009年に本格的にスタートした眞鍋監督率いる全日本女子の最終目標は「ロンドンオリンピックでのメダル獲得」。その目標達成に向けて、チームが立てたプランは逆算方式で、「2012年ロンドン大会でメダルを獲る」ためには、前年の「2011年ワールドカップで出場権獲得の3位以内に入る」。そのためには「2010年世界選手権で3位以内に入る」という目標設定だった。

 その時系列に沿った目標達成のため、まず2009年は、世界各国の若手・成長選手の動向やバレースタイルを研究することに重きを置いた。そのうえで日本の方向性を見出すことを目指し、テーマには「世界を知る」を掲げた。

 2年目の2010年は、世界選手権3位以内へ向け、ベテランと若手を含めたメンバーをそろえ、「世界を知る」ことによって導き出した「日本のオリジナルの追求」に着手した。“日本はスパイク、ブロックの部門では残念ながら世界の強豪チームと対等に戦える状況ではない。それならば、日本のお家芸と言われてきたディフェンスを強化すること。すなわち、サーブ、サーブレシーブ、ディグ(スパイクレシーブ)、そして失点を少なくするという4部門で世界一を狙う”というものだ。

 その実現のため、4人のコーチにはそれぞれ「サーブ」「ディフェンス」「ブロック」「戦術・戦略」と担当を持たせ分業制を確立、各技術の向上を目指した。監督以下スタッフは試合中、情報端末を片手に刻々と変化する戦況を分析するなど、データを活用した戦術でも世界の頂点を目指している。

 世界選手権では目標通り、32年ぶりの銅メダルを獲得。眞鍋監督から「3位以内を目指そう」と言われ続けてきた選手たちは、実際に世界3位となり、表彰台に上がったことで、オリンピックでもメダル獲得は実現可能な目標であるとの意識を持つようになった。

 2011年はさらなるステップアップを目指し、ワールドカップに臨んだ。「一番輝くメダルに挑戦し、オリンピック出場権を獲得する」との目標を掲げたが、世界選手権銅メダルの原動力にもなったベテランのミドルブロッカー陣(井上香織大友愛)が故障によって欠場したこともあり、戦力的に不安定要素を抱えながらの大会となった。日本は前半戦でイタリア、中国、セルビアに敗れたものの、後半戦ではブラジル、ドイツ、アメリカと強豪を連破するなど8勝3敗。勝点でアメリカ、中国にわずかに及ばす、4位にとどまり、この時点でのオリンピック切符獲得はならなかった。

 そして迎えた2012年。「ロンドンで一番輝くメダルを獲る」との最終目標達成のためには、何としてもオリンピック最終予選で出場権を獲得しなければならなかった。そのプレッシャーもあってか、チームはこれまでにない苦戦を強いられる展開になった。出場権獲得は出場8チーム中上位3位までに入るか、それを除くアジアの最上位という条件だったが、日本は最終のセルビア戦に命運をかけ臨んだ。この試合で勝てば文句なし、敗れてもフルセットならば勝点1を上乗せし、出場権獲得という条件の中、何とかフルセットに持ち込み敗れたものの、ロンドンでのメダル獲得に夢をつないだ。

主力選手

 眞鍋監督が全幅の信頼を置くのは、司令塔のセッターで、チーム最年長の竹下佳江。文字通りチームの要だ。2000年シドニー大会の最終予選から、4度のオリンピック予選を経験してきた。2012年の最終予選では自らを鼓舞しながら出場権をつかみ取った。「世界一の159p」として存在感を示しつつ、チームの「世界一」を狙っている。

 眞鍋監督の掲げる「日本のオリジナル」の一つであるサーブレシーブ、ディグのスペシャリストが、不動のリベロ佐野優子だ。「日本のお家芸」であるディフェンスを引っ張る。コートを縦横無尽に動き回り、159pの小さな体をいっぱいに使って果敢にボールに飛び込む。佐野のレシーブが光るとき、全日本は輝く。

 「木村が世界一のウイングスパイカーになること。それによって日本は必然的に世界のトップに立てる」と言う眞鍋監督木村沙織はまちがいなく「日本のエース」だ。その成長はまだ止まっていない。昨シーズンはスランプも経験し、それによってさらなるステップアップのための答えを見つけた。オリンピックはアテネ、北京に続いて3度目。全盛期を迎えようとしている。

 キャプテン荒木絵里香は2011年ワールドカップ、2012年オリンピック最終予選と、故障者が多く手薄となったミドルブロッカー陣の主軸。パワフルな速攻とブロックは日本の貴重な財産で、トレードマークのガッツポーズは、チームの士気を高める。

 2010年に全日本に初選出された江畑幸子は、Vリーグ下部のV・チャレンジリーグに所属する異色の経歴。攻撃面では木村の対角ポジションから、独特のフォームでアタックを繰り出し、先発として活躍する場面が多くなっている。調子の波をなくし安定すれば、カギを握るプレーヤーとして欠かせない存在だ。

 眞鍋監督はスターティングメンバーを固定せず、様々な状況に応じて選手を起用する。ロンドンオリンピックの舞台では、試合によって誰を先発で起用するのか、また試合途中でどのような選手交代をするのかも、勝利への重要なポイントになる。

監督紹介

眞鍋 政義(まなべ まさよし)
 1963年8月21日生まれ、姫路市出身。同市白鷺中からバレーを始め、大阪商大附高、大阪商大、大阪体育大大学院へと進んだ。大阪商大附高時代にセッターに転向し、大阪商大時代の1985年の神戸ユニバーシアードで優勝。その年に全日本に選出されてワールドカップにも出場。以後、全日本のセッターとして世界選手権(1986、1990年、1998年)、ワールドカップ(1985、1989=ベストセッター賞、ベスト6賞、1995年)などで活躍、1988年ソウルオリンピックも出場を果たした。

 実業団では新日鐵ブレイザーズ(現・堺ブレイザーズ)で1998年までプレー。その間、1993年から1998年までは選手兼監督として活躍し、1996年にはVリーグ優勝監督賞に輝いた。1999年にはイタリアのセリエA(イベコパレルモ)でプレーし、その後、旭化成スパーキッズ、松下電器パナソニックパンサーズ(現・パナソニックパンサーズ)と在籍して、2005年旭化成スパーキッズを最後に現役引退、指導者の道に進んだ。2006/07 V・プレミアリーグ女子の久光製薬スプリングスで優勝を果たし、監督としてVリーグ男女優勝も経験している。

 2004年アテネ大会、2008年北京大会と連続して全日本女子をオリンピックへ導いた柳本晶一監督の後を受け、2009年4月全日本女子の監督に就任。

愛称

火の鳥NIPPON
 一般応募により決定。真っ赤に燃える火の鳥は情熱の象徴。心に情熱の炎を燃やし、スピーディーなバレーボールで世界の王座を奪還して欲しいという願いが込められている。手塚治虫氏の作品「火の鳥」の縁で、株式会社手塚プロダクションが火の鳥NIPPONのキャラクターデザインをしている。


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