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アテネ2004


ユースキャンプを振り返って

「充実した16日間」

ユースキャンプ日本代表団員 谷川千草
大阪市西高等学校英語科3年在学中

今回ユースキャンプに参加できたことを非常に感謝している。アテネでの16日間は私の一生の宝物だ。

オリンピック開会式を見学し、古代オリンピックの神聖さを肌で感じることができた。1894年クーベルタン男爵の提唱によって近代オリンピックの復興に始まり、その2年後の第1回アテネ大会から、108年ぶりの里帰りとなった第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)。ここで世界の若者が、オリンピズムについて学び、友好を深めた。

ユースキャンプの間では、アフロディーテというグループで行動し、たくさんの国の団員と交流できたが、日本の私たちは他の国と比べると、とても英会話力が低かった。同じアジアの団員でも、まるでネイティブスピーカーのように話していた。皆のように上手く話せず、口数が減ったこともあったが、そんな私に彼らは簡単な単語を使って話すように気遣ってくれた。アジアの団員たちの優しさに涙が出そうであった。また彼らは、日本のアニメやドラマ、歌についてよく知っていて、とても嬉しかった。今まで西洋の方に興味があったが、このキャンプを通じてアジアに対しても興味を持つようになった。

競技観戦において柔道女子78kg級の阿武教子選手が金メダルを取った時、皆が一緒になって喜んでくれた。彼女の涙からは、今までの過酷な練習、そしてその成果が表れた瞬間の喜びが伝わってきた。私もその気持ちにとても共感でき喜びで涙を流した。スポーツが与えてくれる感動は本当に素晴らしい。

また私たちは、ユニセフ講演の子どもの権利やUNCHR(国連難民高等弁務官事務所)について学んだ。ユニセフという名前は知っていたが、ユニセフが定めた子どもの売買、虐待からの保護など子どもの基本的人権を国際的に定めた条約について、平和な日本という環境に暮すせいか、ほとんど無関心であったことを恥ずかしく思った。UNHCRにおいては、その存在さえ知らなかった。国を追われた難民の食糧や人権問題は、同じ地球上で同時代を生きる人間として、人道的見地から国際的な保護が必要だ。実際、アテネでの講演の時は、私の英語の未熟さゆえに理解が難しかったが、この2つの団体の存在を知り、調べる機会を与えてもらったことに感謝している。同じ人間、助け合って生きていくべきだと思った。

今回友達になったユースキャンプの団員の中で何名かが、選手として2008年の北京オリンピックでオリンピック選手として出場する時に、私はボランティアとしてでも、オリンピックに参加し同じ場所で再び、喜びや悲しみを共感したいと強く思った。

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