MENU ─ 大会
大会 ウズベキスタン・タシケントアジアユースゲームズ(※開催時期未定) シャントウアジアユースゲームズ(※中止) 南京アジアユースゲームズ シンガポールアジアユースゲームズ

アジア大会を彩る競技

ビリヤード キャロム、ポケット、スヌーカーの3種類

ビリヤード

今回のアジア競技大会では、史上最多の36競技が行われ、これまでの総合競技大会では、あまり行われていなかった競技も採用されている。ビリヤード&スヌーカー(以下ビリヤードと略称)も、その一つ。町のビリヤード場で、ゲームを楽しんだことのある人は多いだろうが、トップを目指す競技としてのビリヤードは、日本では一般にマスコミに乗って伝えられることは少ない。キャロム、ポケット(プール)、スヌーカーと三つの種別が行われる。それぞれのビリヤードの違いを紹介する。

ビリヤードの原型は、紀元前のギリシャ時代にさかのぼるといわれる。14、15世紀のころから現在の形に近いものがスペイン、フランス、イギリスなどで行われていたというが、はっきりとしたことは分からない。19世紀になると、それぞれの地域で、それぞれのスタイルで盛んになり、現在の三つの種別が形づくられていく。イギリスではスヌーカー、ヨーロッパ大陸ではキャロムビリヤード、アメリカではポッケットビリヤード。3種別のビリヤードは台の大きさの違いからきている。ポケット、キャロム、スヌーカーの順に大きくなり、ポケットとスヌーカーには隅の6ヶ所に穴が開いている。それぞれが独自に発展し、大きな大会も開かれるようになり、それぞれを統括する国際連盟ができていった。

「われこそ、ビリヤード。他は、亜流でしかない」

三つの国際連盟は互いに主張し、同じビリアードと呼ばれるものでありながら、お互いに歩み寄ることはなかった。  日本では1871年(明治4年)に上野・精養軒にビリヤード場ができたのが最初。当初はキャロムの1種目であるボークラインを中心に広まり、25年(大正14年)には日本撞球(ビリヤードの日本語訳)協会が設立された。その後スリークッションが盛んになり、戦後はポケットも普及して、キャロムとポケットが一般化した。スヌーカーは現在でも競技人口は少なく、日本で盛んとは言いがたい状況になる。

日本撞球協会が戦後の51年に日本ビリヤード協会となり、90年代に入ってから、キャロムの団体であった日本ビリヤード協会がポケット、スヌーカー、それぞれの統括団体を吸収する形で統一した組織となった。

日本で三つの種別の団体が統一されたのは、国際連盟の動きに呼応したもの。世界のビリヤード界では80年代からオリンピック競技入りを目指す動きが出てきた。それまでは、対立していた3団体に共通の目的ができ、90年に世界ビリヤード・スポーツ連合(WCBS)に統合され、92年には国際オリンピック委員会(IOC)の承認団体となり、オリンピック競技入りへのスタートラインにつくことができた。

キャロム>>>昔、初心者は四つ玉から

年配の人でビリヤードをやったことがあるという人は、たいてい四つ玉から始めたはずである。白と赤の四つ玉。これはキャロムの1種目である。穴がないビリヤード台でやるキャロムいは、スリークッション、アーティスティック、ボークライン、四つ玉などがある。現在、トップを競う競技ではスリークッションが最も一般的で、アジア大会でもキャロムの種目としてこれが採用されている。

スリークッションは白、黄、赤、三つの球で行われ、白と黄が、それぞれの選手の手球(キューでつく球)となる。手球を他の二つの球に当てる前に3回以上クッション(四つの辺)に当てなければならない。高度なテクニックを必要とされる。これに成功すれば1点が与えられ、プレーを続けていくことができる。不成功に終わらなければ、相手と交代しなければならない。これをくり返し、あらかじめ決められた得点を先に取った選手が勝ちとなる。アジア大会ではシングルスのみが行われる。

ポケット>>>アメリカ映画でおなじみ

アメリカに人気映画「ハスラー」で、日本でもビリヤードに興味のなかった人でもポケットビリヤードが知れ渡った。映画ではポケットビリヤードの別称であるプールビリヤードと呼ばれ、それまで「プール」といえばスイミング・プールのことだった日本でも「プール」はビリヤードを指す言葉でもあることが知られた。

ポケットにも多く種目があるが、代表的なものが9(ナイン)ボールと8(エイト)ボールで、アジア大会でもこの2種目があり、それぞれシングルスとダブルスが行われる。ダブルスは味方の順番になったとき、二人の選手が交互にプレーしていく。

9ボールは日本をはじめアメリカなどでも、最もポピュラーな種目。1番から9番までの9個の球とキューでつく手球を使い、手球で1番、2番と順番に9番まで番号順に球をポケットに落としていく。失敗したら相手と交代し、8番までの球をどちらか落としたかに関係なく、最後に9番を落とした選手が、そのセットの勝者となる。あらかじめ決められたセット数を先取りした選手が勝ち。

8ボールは、1番から15番までの球と手球を使う。1番から7番までの球(ローボール)と9番から15番までの球(ハイボール)とに分かれ、対戦する選手がローかハイをそれぞれ自分の球とする。その選手は自分の球のみをポケットに落としていくことになる。9ボールのように番号順ではなく、自分の球を落とせば成功でプレーを続けられる。失敗したり、相手のボールを落としたりするとプレーは相手に移る。自分の7個のボールを落とし終えた選手に8番の球を落とす権利が生じ、先に8番を落とした選手がそのセットを制したことになる。これもあらかじめ決められたセット数を先取りした選手が勝ちとなる。

スヌーカー>>>英国ではTVが中継する人気競技

イギリスに滞在し、テレビをよく見ているとビリヤードを延々と長時間にわたり生中継しているのに驚かされる。人気競技。これがスヌーカー・ビリヤード。

スヌーカーでは白の手球と21個の球が使用されている。21個の球にはそれぞれ色により得点が決められている。赤は15個あり、1点球。他はすべて1個で、黄2点、緑3点、茶4点、青5点、桃6点、黒7点となっている。プレーでは必ず赤を先にポケットに落とす。赤を落とした後は、どの色の球を落とすかを宣言した後にその色を落とす。これに成功すれば再び赤を落としてから他の色へ挑戦することになる。失敗するまでその選手のプレーは続き、落とした球の得点が加算されていく。この間、赤は落としたままだが、他の色は定められいる位置に球を戻す。

交互にプレーをしていき、赤がすべてポケットに落ち、台上になくなると、得点の低い順に球を落としていく。この場合はポケットに落としたままにしておき、すべて落とし終えるとゲーム終了。総得点の多い選手が勝ち。ただし、手球がどの球にも当たらない場合など6種類のファウルがあり、そのファウルの種類により最低でも4点が相手に加算される。ファウルも勝敗を大きく左右する。アジア大会ではシングルス、ダブルスに加え、団体も実施される。

スヌーカー台は日本国内、現在30台ほどしかないという。それも、ほとんどがプライベートなクラブになり、一般の人が楽しめる環境は、ほとんど整っていない。 台が大きく重く、高価なため一般の人が楽しめる町のビリヤード場では、経済効果が悪く、これを設置するメリットがない。このためなかなか普及しにくいという事情を抱えている。スヌーカーの1種目にイングリッシュビリヤードというのがあり、アジア大会でも実施されるのが、日本ではほとんど行われておらず、出場しない。

セパタクロー セパタクローをもっとメジャーに!

セパタクロー

前回の広島アジア大会から、正式競技として採用されたセパタクロー。日本国内での知名度はまだまだ低く、セパタクロー関係者の、多くの人に競技を知ってもらいたいという願いは強い。

サッカー+バレーボール=セパタクロー

セパタクローはマレーシア語の「セパ」(“蹴る”という意)とタイ語の「タクロー」(“ボール”という意)を語源に持つ東南アジアで古くから行われてきたスポーツ。

今から1200年以上も前、マレー半島を中心に、プレーヤーが輪になって頭と足を使って、できるだけ長くボールを空中に保つ「セパラガ」、また空中につるした篭の中にボールを蹴り入れ、蹴り方の難易度で得点を競い合うタイの「ジャイクロイタクロー」という競技がセパタクローのルーツだと言われている。

セパタクローは、国技となっているマレーシアやタイはもちろん、シンガポール、インドネシア、フィリピンなどでも人気があり、学校の授業にも取り入れられているそうだ。

セパタクローは“キック”と“ヘディング”によるバレーボールということになろうか。コートはバドミントンと同じ広さ(サイドラインが13.4m、ベースラインが6.1m)で、ネットもバドミントンと同じ高さになっている。プラスチック製のボールを手と足のみで、3回以内に相手コートに返球する。1チーム三人。1セットは、通常15点。2セット先取の3セットで行われる。

この競技の見どころは、オーバーヘッドキックなど、派手な空中プレー。高度な技を持つ選手のプレーは芸術性を感じさせるほどだ。