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アジア大会物知り事典

首都圏以外での開催は、94年の第12回広島大会だけ

広島大会の採火式

ニューデリー(インド)、マニラ(フィリピン)、東京(日本)、ジャカルタ(インドネシア)、バンコク(タイ)、バンコク(タイ)、テヘラン(イラン)、バンコク(タイ)、ニューデリー(インド)、ソウル(韓国)、北京(中国)、広島(日本)。

以上は、1951年の第1回大会以来94年の第12回大会までの開催都市(カッコ内は国)である。これを見ても分かるように、バンコクでは3回、ニューデリーでは2回開催している。

したがって、バンコクでのアジア大会は、今回が4回目となる。それ以外のことで気づくことは、第1回ニューデリー大会以来、第11回北京大会までの開催地は、いずれも各国の首都で行われていることだ。

その意味で前回の94年の第12回広島大会は、「首都以外の都市で初めて開催されるアジア大会」として注目された。幸いなことに、この大会も64年の第18回東京オリンピック、72年の第11回札幌冬季オリンピックなどと同じように立派に運営され、「さすがは日本で運営される国際総合競技大会」との評価を受けることができた。

2002年の第14回大会は、韓国のプサン(釜山)市で行われることになっているが、この第14回プサン大会が首都以外の都市で開かれる第2号となる。

福岡がシンガポールに敗れ、第8回大会の開催を逃す

バンコクでの開催をアピールするタイ選手団

アジア大会はこれまで12回行われているが、日本で開催されたのは、58年の第3回東京大会と94年の第12回広島大会の2回。ただし、それ以外にも、78年の第8回大会の開催地に立候補したことがある。

意志表示をしたのは福岡市で、日本オリンピック委員会(JOC)は福岡市の意向を受け入れ、72年8月、ミュンヘン・オリンピック直前に現地で開催されたアジア競技連盟(AGF。当時の主催者)評議委員会の際に名乗りを上げた。

福岡市のライバルはシンガポールだったが、福岡市の敵ではないと予想されていた。だが、AGF加盟国が軍配を上げたのはシンガポールだった。これは欧米ばかりに目を向け、アジア諸国の競技力向上を軽視している日本スポーツ界への反感がシンガポールへの支持となって表れたと指摘する識者が多い。

ところが、シンガポールは翌73年10月に財政上の理由で開催を返上。その後パキスタンのイスラマバードが代替地に立候補し、対立候補がないまま74年9月にすんなりと決まったが、これまた財政上の理由で75年6月に返上したため、第8回大会は流会の危機に立たされた。JOCは慌てて福岡市に打診してみたが、同市の熱は既に冷めきっていた。

この危機を救ったのは、66年の第5回大会、70年の第6回大会を開催したタイのバンコクだった。ただし、第8回大会は、参加各国が分担金を負担して実施されたのである。ちなみに、分担金を負担したのは15ヵ国で、その総額は268万4186USドルにのぼった。

ともあれ、タイは流会の危機を救ったのである。最終決着をしたのは、大会前年の77年7月のことであった。

82年の第9回ニューデリー大会まではAGF、それ以後はOCAが主催

アジア競技大会は、51年の第1回ニューデリー大会から82年の第9回ニューデリー大会までアジア競技連盟(Asian Games Federation. 略称AGF)が主催していたが、それ以後はアジア・オリンピック評議会(Olympic Council of Asia. 略称OCA)に変わった。

AGFは4年に一度のアジア大会を開催するための組織で、常設の本部も存在せず、開催国の持ち回りとなっていた。しかし、アジア・スポーツ界をより発展・充実させるには、大会の開催もさることながら、通常の活動も重要との観点からAGFを発展的に解消し、衣替えしたのがOCAである。呼びかけたのは石油輸出国のクウェートで、OCAの常設本部もクウェートに設置された。

アジア大会の主催者がAGFからOCAに変わってからの一番大きな変化は、旧ソビエト連邦時代、同連邦に属していたカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンなど中央アジアに位置する5ヵ国がそれぞれ独立し、OCAへの仲間入りを果たしたことだ。

主催者がOCAに変わり、加盟国が43に増えたことによって、アジア大会そのものも様変わりしつつある。

オリンピックと同じように巨大化するアジア大会

51年の第1回ニューデリー大会の実施競技は、陸上競技、水泳(競泳、飛び込み、水球)、サッカー、バスケットボール、ウエイトリフティング、自転車の6競技で、種目数は57。その後、回を重ねるたびに実施競技種目数は増加したが、82年の第9回ニューデリー大会までは、自然増に過ぎなかった。

それが、主催者がAGFからOCAに変わった86年の第10回ソウル大会の時に、実施競技種目数は、前大会の21競技196種目から25競技269種目に急増した。何と4競技73種目が一気に増えたのである。

そして次の90年の第11回北京大会では、29競技313種目へと拍車がかかり、さらに前回の94年の第12回広島大会では、34競技337種目へとエスカレートする。広島大会組織委員会としては、30競技300種目以内に絞りたいと思っていたが、次々と出てくる希望を抑えつけることはできなかったのだ。

第13回バンコク大会では、第11回北京大会からお目見えしているカバディ、セパタクローに加え、スカッシュ、ビリヤードも入り、史上最多の36競技が実施されることになっている。アジア大会が盛んになることはもちろんいいことだが、この辺で歯止めをかけておかないと、これから開催するところは財政面での負担が大きくなるばかりだ。

OCAは今こそ、大所高所に立って、実施競技種目の見直しをする必要に迫られている。