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仁川アジア大会


第17回アジア競技大会(2014/仁川)

「限りなき前進 アジア大会」
(3)中国の躍進始まる 日本は盟主の座を陥落

 日本は第1回ニューデリー大会から金メダル争いでトップに立ち、大会規模が大きくなるごとにメダルの数も順調に伸ばした。地元・東京で開催の第3回大会(1958年)では水泳で26種目中25種目を制したのをはじめ、67個の金メダルを獲得して2位フィリピンの9個を大きく引き離した。インドネシアのジャカルタでの第4回大会(1962年)は74個、タイのバンコクでの第5回大会(1966年)は78個、同じくバンコク開催となった第6回大会(1970年)でも74個の金メダルを手中にした。アジアの盟主の座をほしいままにしてきた日本だが、眠れる大国・中国の参加によってその勢力図は大きく書き替えられることとなった。

1974年のテヘラン大会に初参加した中国選手団

1974年のテヘラン大会に初参加した中国選手団

 中国がアジア大会に初めて参加したのは西アジア初の開催となった1974年の第7回テヘラン大会だった。1960年代の文化大革命の影響で国内のスポーツ強化が停滞していたこともあり、金メダル争いでは69個の日本、36個の地元イランに次いで、33個の3位だった。バンコクで3度目の開催となった1978年の第8回大会はトップ日本の70個に対して2位中国は51個とその差は急速に縮まってきた。アジア大会への参加目的のひとつとして「友好」を掲げていた中国だが、1979年の国際オリンピック委員会(IOC)への復帰で五輪出場に向けた競技力向上が一気に進み、ついに1982年の第9回ニューデリー大会で立場は逆転した。

1994年広島大会の体操男子団体総合表彰式。優勝は中国、2位韓国、3位日本とアジアの勢力図を示す結果となった

1994年広島大会の体操男子団体総合表彰式。優勝は中国、2位韓国、3位日本とアジアの勢力図を示す結果となった

 日本は水泳、体操で予想を下回る結果が響いて金メダルは57個だったのに対し、躍進著しい中国は卓球、射撃、重量挙げ、ボートなどで金メダルを量産し、61個でついにアジアのトップの座に就いた。中国とともに1988年にソウル五輪開催を控える韓国も競技力向上に力を注ぎ、アジア大会の構図は日本の独壇場から、日本、中国、韓国の3強、さらには中国の独壇場と変貌を遂げていくこととなった。(共同)
 
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