MENU ─ オリンピックを知る

トップアスリートを支えるもう一人のヒーロー

靴が足にしっかりフィットしているかどうかが大切
鈴木武彦

銀盤を華麗に舞うフィギュアスケートの選手。その足元を支えるスケート靴を50年、自らの手によって作ってきた。選手ひとりひとりの足を測って、その選手のことだけを思い、一糸一糸革に糸を通してきた。「靴は選手にとって命のようなもの」。伊藤みどり選手のその言葉を今も誇りにしている。しかし、時代は流れ、職人の仕事は機械に変わっていき……。靴職人、鈴木武彦がスケート靴にかけた思い。

鈴木武彦さん
鈴木武彦さん


鈴木武彦さん
中野友加里選手の靴。彼女が小学生の頃から手がけていたという。その工程の9割は手作業。重量は片足約1.5kg。

大阪市東成区にある『鈴木スケート』。靴職人・鈴木武彦の仕事場の机の上には、1992年アルベールビル冬季オリンピックでフィギュアスケート女子シングル銀メダリスト、伊藤みどり選手の子どもの頃の写真が飾ってある。

「みどりちゃんは、よくここに来られた。練習時間を割いてまで名古屋から。遠くから大変やねって聞いたら、『フィギュアスケートで大切なのは靴とエッジです。それが命のようなものですから』って言ってました。うれしい言葉です」

鈴木は、その彼女の言葉を、仕事への誇りとしているように言った。

鈴木が伊藤選手の靴を作るようになったのは、当時、伊藤選手が練習をしていた名古屋市の名古屋スポーツセンターに靴を納めていた事がきっかけだった。まだ小学生だった伊藤選手の滑りを見て鈴木は、「靴が合っていないのではないか……」と思ったという。

その頃から、スケート靴は各選手の足型に合わせて作られていたが、エッジはすべて靴の中心についていた。エッジの外側が減る選手もいれば、内側が減る選手がいるにも関わらず、すべて同じようについていたのだ。鈴木はそのことに疑問を持っていた。

選手の滑り方や、重心がかかる位置に合わせて、エッジをつけるべきではないのか。

鈴木が伊藤選手に「どこにエッジがついていれば滑りやすいか?」と聞くと、「もう少し外側に」と答えた。そして、エッジを外側につけた靴で滑った伊藤選手は「まだ。もっと外へ」と言う。伊藤の指示するように外へ、外へとエッジの位置をずらしていくうちに、これまでの靴にはないような、エッジが靴の中心から極端に外側にずれた靴になった。しかしその靴で伊藤選手は飛躍する。トリプルアクセルを飛び、世界選手権、オリンピックをはじめ数々の大会で輝かしい成績を残していった。

寸分の狂いなく足にフィットする靴
鈴木武彦さん
中野友加里選手の足をかたどった木型。足のサイズは23.5cm。中野選手の特徴は内側にふくらみがあり、甲が低いこと。


鈴木武彦さん
靴の内側には「鈴木スケート」のタグが入れられている。選手の足元を支えてきた名職人の証。

「機械は速くていいんやけど、手作りには機械ではできない良さもあります」

最近ではオーダーメイドされるスケート靴でも大抵七部製というもので、職人の手が入るのは工程の7割程度。3割は機械によって作られるという。しかし、鈴木の作る靴は九部製。靴底の厚い革の部分にミシンを使うだけで、あとは革の裁断から縫製まで、すべて手作業だ。

「革は天然のもの。伸びのええところもあれば、あまり伸びないところもある。その感触を手で感じながら革を引っ張って、縫い合わせていく。機械だとどこでも同じ力で引っ張ってしまうから、ひび割れしたり、ムラができたりするんです」

鈴木が靴を作るとき、まずやることは、その選手の足の形を測ることだ。それから足の形に合わせた木型を作る。当然人によって形は異なり、たとえば、伊藤選手は他の選手に比べてかかとが角張っている。また、現在手がけている日本代表の中野友加里選手の場合は甲が低く、内側にややふくらみがあるのが特徴。木型ができたら、それに裁断した革を合わせて、釘で仮止めをし、ひと針、ひと針縫っていく。最後に靴を水につけ、再び靴の中に木型を入れて、革がその木型にフィットするように叩いていく。これで、その選手の足だけにピタリと合う靴が生まれる。

フィギュアスケートの靴は片足およそ1.5kg。両足で3kgある。「靴が重いからジャンプができない」そういう声を鈴木はよく聞くという。

「靴の重さが問題ではないと思う。靴が足にしっかりフィットしているかどうかが、一番大切。既製品は中にクッションが入っていて、誰の足にでもある程度合うようになっている。だけど、それではひとりひとり異なる足の形には対応しきれない。足に合った靴とは言えません」

さらに、靴の良し悪しは靴全体を構成するパーツのバランスだとも。

「紐、ハトメ、革の柔軟性。それらで、選手の足にかかる力を分散できたら理想的やけど、最近の靴は硬いばかりでバランスがよくない。昔は2回転半を飛べば全日本チャンピオンだったんが、今は3回転半や4回転が必要や。その衝撃に耐えられるように靴もどんどん厚く、硬くなるばかり。もっと紐で衝撃を吸収させることを考えて、その衝撃に耐えられる強いハトメができるといいけど、それがない」 鈴木は完成した靴を初めて選手に履かせるとき、必ず自分の手でそれを行う。選手の足元に腰を下ろし、ゆっくりとつま先を入れてあげ、軽く甲を押さえて、ハトメにひとつ、ひとつ紐を通していく。そうやって伊藤選手にも靴を履かせた。小さい頃から何千回、何万回と自分で靴の脱ぎ履きをしてきた伊藤選手が鈴木にこう言ったことがある。

「自分で履くより鈴木さんに履かせてもらうほうがしっくりくるんです。靴が足に吸い付いてくるみたい」
鈴木の靴が選手の足と一体になった瞬間。

最後の靴
鈴木武彦さん
大阪市東成区の住宅街にある職場。50年、鈴木はここで靴を作り続けてきた。選手が銀盤を舞う姿に夢を馳せながら。

「今は何から何まで機械や。手作りというのが難しい時代になってきた。一度、機械の便利さを覚えてしまったら、手作業にはなかなか戻れない。手作りの必要性がなくなるものが少なからずあんねんけど、それはそれでさみしいことや」

そう話す鈴木が靴職人としての道を歩み始めたのは、高校を卒業してすぐのこと。父が靴職人だったことの影響からだ。以来50年、変わることなく選手の足型をとり、それに合わせた靴を作ってきた。

鈴木の父親はかつてスケート靴に限らず紳士靴、婦人靴など、一般の靴も作っていた。しかし、どんなに良いものを作ろうとも、一般の靴では、それほどの品質・機能を求められることは少ない。安い大量生産品にかなわなくなっていった。そこで、より高い品質や機能が必要とされるスポーツ靴、なかでもスケート靴を作るようになったのだ。

手作りのこだわりは今も変わらない。しかし、海外ブランドのスケート靴が主流で、機械による工場生産があたり前の現在、靴職人は年々少なくなり、鈴木も数年前から、裁断からすべてを自分ひとりで作るということをしていない。今は、かつての職人らによって作られた底付け前の革を、選手の足からとった木型に合わせて仕上げていくという作業が主だ。だが、それももうすぐ終わりにするという。

今、鈴木が手がけている靴は、今年3月の世界選手権で女子シングル5位となった中野友加里選手のものだけである。「中野選手でしまいや」

靴職人鈴木武彦最後の仕事。
中野選手が銀盤を華麗に舞う姿を思い浮かべながら、その靴に一糸を通す。

(敬称略)

※この連載は、JOC広報誌「OLYMPIAN2007年 vol.1」に掲載したものです。

鈴木武彦さん
鈴木武彦
1940年、大阪府生まれ。高校を卒業して靴職人の道へ。現在、鈴木スケートを経営し、これまで伊藤みどり選手や中野友加里選手らの靴を制作してきた。