コラム/インタビュー

トップアスリートを支えるもう一人のヒーロー

トップランナーを足元からサポートするシューズ企画開発担当者
河野光裕

このコーナーでは、決して表舞台に立つことはなく、選手たちの勝利のために貢献する人々をクローズアップしています。第3回目は、陸上競技選手の命でもあるシューズを選手の要望を聞き入れ、コミュニケーションを重ねながら科学的な視点で開発を進める河野光裕氏を取材。選手とのコミュニケーションをていねいに行うことが、最も大切なことだと思っているという。

入社4年後、念願かなってシューズ開発担当に
河野光裕さん
試し履きのとき、選手に「ちょっと合わない」と言われたときは、「とことん原因を探して、納得のいくものを作りあげます」と河野光裕さん。

この夏、陸上の世界選手権が16年ぶりに日本で開催される。1991年の東京大会では、男子100メートルでカール・ルイス選手が世界記録を更新し、日本中を興奮させた。国立競技場で、テレビの前で、多くの人がその歴史的瞬間を見つめていた。

当時、スポーツ用品メーカーに入社したばかりだった河野光裕さんは、カール・ルイス選手のその走りに、「スポーツはこんなにもすごい瞬間を見せることができるものなのか」と、あらためて心を強く揺さぶられたという。

中学生のときから陸上競技を始め、3段跳び、走り幅跳びと、跳躍種目に取り組んできた。「好きな陸上を指導したい」と、教員になることを志して大学に進み、陸上競技選手として活動しながら、運動生理学などを学んでいた。

就職活動のころは、カール・ルイス選手とその他の選手が、短距離の世界一をめざして凌ぎを削っており、カール・ルイス選手は日本のメーカーのシューズを履いていた。ライバル選手のものもまた、日本のメーカーが担当していたこともあって、シューズの持つ役割の大きさ、価値、日本の技術力の高さがメディアでも多く取り上げられていた時期でもあった。

河野さんは教員志望から進路を変更してスポーツ用品メーカーに入社。4年間の営業を経て、念願のシューズ企画開発担当の部署に配属になった。仕事はトップ選手の意見を製作担当に伝えて、満足感の高いシューズをつくってもらうこと。さらにトップ選手のシューズをもとに、一般の競技者に向けての商品を開発すること。現在は「ランニングシューズ企画課」に所属し、陸上競技の日本代表、候補選手らのシューズを監修し、選手からの相談に乗っている。

科学的な開発と、選手の思い入れと
河野光裕さん
シューズの新旧のソールを、比べてみている末續慎吾選手。自分が企画や開発に関わったシューズで選手が活躍してくれることは何よりうれしく、河野さんの自信になるという。(写真提供:ミズノ)

陸上競技選手にとって、シューズは試合に勝つための最大の武器であり、苦楽をともにする相棒でもある。中学生や高校生のころは、ほとんどの選手が市販のシューズを店頭で選んで買う。日本代表候補クラスになると、自分の足のために特別にあつらえた、とっておきのシューズをつくるようになっていく。

「選手というのは記録が伸びているときは、シューズにはあまりこだわってなかったりするものなんです。上り詰めて、自分の体力レベルがMAXになったとき、もっと記録を上げるのにはシューズが重要だと気がつく。そこからよりよいシューズをつくりあげていくための選手との会話が始まっていくのです」。

選手は自身の感性やフィット感を何とか言葉にして、こんなふうなシューズをつくってほしいと伝えてくる。一方で河野さんは、科学的な観点から開発された最新のシューズをうまくはきこなしてみませんかと、選手に勧め、すり合わせを進めていく。シューズはさまざまな情報に基づき、年々変化していくが、選手は必ずしも常に最新のものを求めるとは限らない。

「選手も人間ですから、いい結果を出せたときのシューズを使い続けたいという思い入れが強いときもあります。ゲンをかつぎたいということもあるでしょう。でも一方で、もっと速く走るために最新のシューズに替えてみたいという思いもある。そのあたりの正直な気持ちを聞いてつくらないと、結局は本人の感覚に合わない、走りにくいものができてしまいます。選手とのコミュニケーションをていねいに行うことが、大切なことだと思っています」

涙が流れるほど感動した、末續選手の銅メダル
末續慎吾選手
2003年世界選手権パリ大会男子200メートル決勝で、末續慎吾選手が見事銅メダルを獲得。河野さんの担当したシューズがまたひとつ、歴史的快挙をアシストした。(写真提供:アフロスポーツ)

シューズ担当者冥利に尽きると思った試合が、2度あった。1度目は2001年の世界選手権エドモントン大会の男子マラソンで、エチオピアのゲザハン・アベラ選手が河野さんが担当したシューズで優勝したとき。前年のシドニーオリンピックの同種目も制していたアベラ選手は、男子マラソンで初の、オリンピックと世界選手権の連続金メダリストとなったのだ。

2度目は2003年世界選手権パリ大会男子200メートルの決勝で、同じ会社所属の末續慎吾選手が銅メダルを獲得したときだ。ゴールに飛び込み、祈るような顔でスクリーンを見つめて結果を待つ末續選手。河野さんもその姿を遠くから目で追った。銅メダルが確定して、末續選手が両こぶしを握り締めた瞬間は、「言葉の代わりに涙が出て、しばらくしゃべれない状態が続きました。体が震えるほど感動しました」。

カール・ルイスの快挙にしびれた日から12年。ついに自分の関わった選手が、世界選手権の200メートルで日本人初のメダリストになったのだ。

末續選手のナンバ走りといわれる独特なフォーム、足底の形などを考慮し、フィット感を追及して軽量化を図った。必要最低限の骨格だけを残して、甲の部分の何箇所にも穴を開けたシューズは“スケルトン・スパイク”と呼ばれ、末續選手に世界選手権銅メダルをもたらした。

その後、アテネオリンピックをめざして、末續選手が求めたのは「チーターのように走れる」シューズ。河野さんらは発想を切り替え、「体の負担が少なく、走っているときの風の抵抗を極力抑えたシューズ」を開発した。「スピードスケート担当の社員から、風や空気の抵抗を減らすシューズをつくるヒントをもらいました。それでできたのが、ヒモもベルトも見えないカバーのついた、足袋のようなスパイクです。穴の開いたタイプよりも、空気抵抗を受けないんです」

今年1月に行われた大阪国際女子マラソンでは、河野さんが担当したシューズを履いた原裕美子選手が優勝。同種目での世界選手権出場が内定した。ダイナマイトの防爆シート用素材である、超強力糸の“ダイニーマ”を使用し、シューズと足のブレを防止している独自の技術が、故障しがちな原選手の足をしっかりと守り、安定感のある走りの一助となった。この夏の世界選手権と同じコースを制した原選手の優勝に、本番での活躍へ期待が膨らむ。

シューズ完全ガイドをWEBにアップ
河野光裕さん
河野光裕さん

少年たちがシューズのかかとを踏んで歩いている姿を目にすると、やるせない気持ちになってしまうのは、職業病みたいなものだ。

「せっかくいろんなことが考えられて作られているシューズなので、ちゃんと履いてほしいんですよ」

自分の走りのレベルに合ったシューズを履けば、記録も出るし、ケガも少なくなると、河野さんは「シューズの選び方」のアドバイスを熱心に行っている。河野さんが勤めている会社の公式サイトの「トラック&フィールド」のページには、シューズの基本情報、選び方のポイントなどがわかりやすくまとめてある。河野さんが執筆、編集した「パーフェクトブック」というコーナーは、陸上競技者必読の、役立ちコンテンツだ。

河野さんは競技者のころ、足の甲の幅が普通の人より広かったので、フィット感の高いシューズを探すのに苦労したという。だからこそ、競技者それぞれの足や走りに合ったシューズを提供したいという思いは誰よりも強い。

大学で運動生理学を勉強したことや自身の競技経験から、選手が走るフォームなどを見て得られる情報も多い。「昔やってきたことが、今の仕事にすべて結びついています」。「陸上競技が大好き」という変わることのない熱い思いが、河野さんを鼓舞し続けている。

この夏、再び世界選手権が日本で開かれる。河野さんと選手、そして多くのスタッフとともにつくりあげたシューズが、大阪の競技場で、ロードで、どんな夢を見せてくれるのか。選手の足元にも注目したい。

※この連載は、JOC広報誌「OLYMPIAN2007年冬号」に掲載したものです。

河野光裕
1969年生まれ。宮崎県出身。ミズノ株式会社 アスレティック事業部 マーケティング部ランニングシューズ企画課 主事。陸上競技全種目のシューズ担当。日本代表クラスの選手のシューズはすべて見ている。


ページトップへ