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トップアスリートを支えるもう一人のヒーロー

グラブへのこだわり。ソフトボールのチーム・ジャパンを支えた職人魂
山田稔

このコーナーでは、決してけして表舞台に立つことはなく、選手たちの勝利のために貢献する人々をクローズアップしていきます。第1回は、ソフトボール選手の命でもあるグローブを、天才的な閃きと経験の中で造り上げる山田稔氏を取材。選手たちが求める理想のグローブには、職人気質のこだわりが活かされているのです。

要求が高いほど、それに全力で応えるのが職人魂
山田稔さん
山田稔さん

「打球に手を伸ばしたら、ボールが自分から入ってくるような、吸いついてくるような、そんなグラブを作ってよ」

山田稔が、ソフトボールの日本代表のグラブ制作を担当することになったとき、当時の代表監督の宇津木妙子からそんな言葉をかけられた。

宇津木は山田が合宿先を訪れると、「選手のグラブを専門家の目で見て、何か気がついたことがあれば、アドバイスしてあげてください」と頼むこともあった。単に商品をつくって納めるというだけではなく、宇津木は山田にチームの一員として、選手たちの力になってほしいと望んだのである。

「素手と同じくらいの感覚で、キャッチできるグラブが理想」という宇津木に、山田は「捕ったら、サッと閉まるようなグラブを、つくりますよ」と約束した。選手たちからも細かな要望を聞いた。“フィット感”のような感覚的なものを言葉にすることはむずかしく、また同じポジションでもプレースタイルなどによって、求めるものは変わってくる。出来上がりのグラブが見事な自分仕様になっていることに感激した選手たちは、忌憚なく、要望を伝えるようになった。監督や選手のグラブへの期待や関心が高まれば高まるほど、山田は全力で応えてみせた。

グラブへの要望や感想は、選手ごとに貴重なデータとしてストックされ、翌年以降にも生かされていく。

日本代表のグラブは、短期間で使いやすくなるようにつくる
画像データをパソコンで確認しながら、高圧の水を使った「ウォーターカッター」で、裁断。
画像データをパソコンで確認しながら、
高圧の水を使った「ウォーターカッター」で、裁断。

合宿先を訪れることがあれば、選手がどんなふうにグラブを使っているかを眺め、ベンチにあまり使われた形跡のないグラブが置かれているのを見ると、練習後に「どこか使いにくいところがありますか?」と選手に話しかけ、改善ポイントを話しあったりもする。

「日本代表のグラブは毎年、春先に一人に一つずつ納品させていただいていますが、8月か9月に行われるオリンピックや世界選手権のときに、もっとも使いやすい状態になっていなければなりません。しかし、選手はふだん自分の所属するチームでは“JAPAN”の名前が入った日本代表のグラブではなく、所属チームの名前が入ったグラブを使って練習しています。代表のグラブは強化合宿や遠征など、限られた日数でしか使われないので、時間をかけて型をつけていくということができない。ですから通常のグラブより、限られた期間ですぐに使いやすくなるグラブをつくらなければならないんです。そのために、新品のグラブと1年使用した後のグラブを写真に撮るなどして、その形状を比較し、初めから使い込んだ形状にするためにはどうしたらよいかを考えます。選手は使い込んだ古いグラブに安心感を覚えるものですが、新しいのに安心感があるというものをつくりたい。それが日本代表のグラブづくりのひとつのテーマなんです」

内野のグラブは特に神経を使う。ソフトボールは野球よりも打席からの距離が短いため、内野が受ける打球の速さ、強さはかなりのものになる。サードの宇津木麗華は「手になじみ、打球に負けないグラブ」を求めた。

その宇津木麗華が、ある世界大会の試合後の取材で「今日勝てたのは、グラブがよかったから。よく守ることができました」と答えたと人づてに聞いたとき、山田は、必死に涙をこらえたという。「宇津木麗華選手といえば、世界有数のバットマンです。グラブでホームランを打てるわけでもないのに、そんなふうにグラブを気遣うコメントをしてくれたことがうれしくて。言葉が胸にしみました」。

オリンピックの試合などをテレビで見ているときは、ついグラブに目が行ってしまう。「ファインプレーのあとに選手と共にグラブが画面に映し出されると、よかったなぁと心から思いますし、打球が飛ぶたびにうまいこと捕れるかなぁと見つめてしまう。親の心境に近いかもしれません」

良くできたグラブは、使えば使うほどよくなるもの
子牛の背中から足にかけての皮。この大きな皮から1個のグラブが作られていく。
子牛の背中から足にかけての皮。この大きな皮から1個のグラブが作られていく。

山田がグラブをつくり始めて、今年で29年になる。高校まではバスケットボール部に所属していたが、小さいときは親に買ってもらったグラブを大事に使って近所の友達とよく野球をしていたという。高校卒業と同時に近所のグラブ工場に入社。初めのころは軟式野球の市販のグラブを量産する工程の一部を受け持った。

マニュアルなど当時はなく、先輩や上司から話を聞きながら、見よう見真似でとにかく実践してつくるしかなかった。つくったものを直接見せては、ほめられ、叱られの繰り返し。

「グラブは裏から縫って、表に返すもの。外見はよくできていても、裏の部分がしっかりできていないものは、使い勝手が悪く、長持ちしないんです」

やがて量産するグラブは海外で作られるようになり、山田の勤める工場はオーダーメードのグラブのみを扱うようになった。お客様に満足してもらえるグラブづくり、ていねいに要望を聞き、アフターフォローもしっかりすること。昔も今も、それが山田の身上だ。

やがてアメリカのグラブ工場を立ち上げるという仕事のため、渡米。アトランタオリンピック前のことだった。無事立ち上げを終えた山田は、仕事が軌道にのったところで、帰国。1998年からソフトボールの日本代表を担当することとなったのである。

子牛半頭分の皮で1個のグラブが作られる
山田 稔氏
山田 稔氏

実際にグラブ工場の中を案内してもらった。野球とソフトボールのオーダーメードのグラブはここで1日約80個作られるという。奥の台に、大きな皮が広げられているのが見えた。「これは生後3か月の子牛の背の皮、半頭分です。子牛のほうが肌触りがきめ細かいのでグラブにはいいんですよ。各部位は繊維の流れでここしか型がとれないと決められていくので、オーダーメードのものはこの皮から、たった1つのグラブしかつくれないんです」

各部位は“ウォーターカッター”で、鮮やかに切り取られ、縫合され、専用のアイロンでカタチが調えられていく。手の入る部分には羊の毛皮がひかれ、形ができると、木槌で「型づけ」が行われる。グラブ1個のために、最高の素材が用いられ、各工程で何人もの熟練が精魂こめてつくりあげていく。

シドニーオリンピックで用いられたグラブも山田が担当した。日本代表は銀メダルを獲得。監督の宇津木妙子は山田に心から礼を述べたという。

「このグラブには山田さんの命が、パワーが入っていた。選手たちが怖れないようにと鼓舞し、エラーしないようにと守ってくれた。本当にありがとう」

オリンピック後はスペアのグラブに選手全員が感謝の気持ちを寄せ書きして、山田とスタッフにと贈ってくれた。それは大切に工場に飾られている。

「今年は8月下旬から世界選手権があるので、井川英福ヘッドコーチが率いる日本代表チームの活躍を、心から願っています。そして2年後の北京オリンピックでは念願の金メダルを、ぜひとも獲得してほしい」

2012年のロンドンオリンピックからは除外されてしまったソフトボールだが、2016年に日本で開催することが決まれば、必ずまた復活できるとソフトボールに関わるすべての人たちは信じている。山田のグラブはオリンピックという舞台で、選手たちを輝かせ続けることだろう。
(敬称略)

山田 稔
1958年兵庫県生まれ。株式会社ミズノインダストリー波賀 開発課 試作開発担当・専任職(兼)別注改革推進担当。入社後、グラブ製作、開発を担当。95年には渡米し、現地でミズノの工場を立ち上げた後帰国し、98年からソフトボール日本代表の担当となり、現在にいたる。クラフトマン2級