コラム/インタビュー

心に残るオリンピックシーン

思わず血が騒いだアトランタオリンピック「野球」〜赤瀬川隼

誰にでも、忘れられない記憶がある。忘れられない、オリンピックがある。
歓喜し、涙し、苦悩するアスリートたち――。
そのさまざまな姿が、オリンピックファンの心を虜にする。
直木賞作家、赤瀬川隼氏もそのひとり。赤瀬川氏が語る、心に残るオリンピックシーン。

予選突破に向けて絶対絶命のピンチを救い、準決勝、決勝と先発し力投する杉浦正則選手


決勝では2本塁打など、随所で好打を放ちチャンスを作った谷佳知選手


19歳で最年少出場(当時)ながら、大会トータル2本塁打を放って健闘した福留孝介選手


準決勝8回でダメ押しの本塁打を放ち、アメリカを撃沈した井口忠仁選手


赤瀬川隼氏
写真提供:フォートキシモト/アフロスポーツ

直木賞作家の赤瀬川隼さんは、自他ともに認める野球ファン。草野球から大リーグまで、あらゆる野球に詳しい赤瀬川さんに「思い出のオリンピックのシーン」をうかがうと、やはり野球、アトランタオリンピックの決勝戦、と答えてくれました。

アトランタオリンピックは野球発祥の地であるアメリカでの開催でしたから、それまでの大会以上に注目してテレビ観戦していました。決勝戦には、当時、アマチュアでは世界最強と言われていたキューバが予想通り進出。対するは、不調と言ってもよい予選から次第に調子を上げ、準決勝では予選でコールド負けした地元アメリカに大勝して勝ち上がった日本でした。

当時の日本代表メンバーは、オール・アマチュア。メンバーには、松中信彦選手、今岡誠選手、井口忠仁選手、福留孝介選手、谷佳知選手など、今やプロ野球、メジャーリーグで活躍する選手が名を連ねていました。予選では、エース杉浦正則選手が大会直前でケガというアクシデントに見舞われ、日本は苦しい試合運びに。キューバ、オーストラリア、アメリカに3連敗して後がない日本は、満を持して杉浦選手をマウンドに送り、ニカラグア、韓国、イタリアに起死回生の3連勝で準決勝へと駒を進め、アメリカに11対2で大勝。上昇ムードの決勝戦で、再びキューバと対戦します。

試合は1、2回でキューバが6点を挙げ、これは戦前の予想通りキューバの一方的な試合になるかと思っていたら、松中選手が満塁ホームランを打って、同点に追いつくという興奮の展開。その後も両チームは激しい打撃戦を繰り広げ、結局、キューバが打ち勝ち、残念ながら、日本は銀メダルに終わりました。

当時、試合を見終えて強く私の印象に残ったのは、申し訳ないけれども日本チームの健闘でも、スリリングな試合展開でもなく、キューバの圧倒的な強さでした。キューバはすべての対戦で勝利し、そしてただ強いというだけでなく「何か」がある。そう感じさせる強さがありました。

その年の秋、「キューバ野球の強さを探る」というテーマで、NHKのドキュメンタリー番組が制作され、出演を依頼された赤瀬川さんは、決勝戦で感じた「何か」を探るべくキューバに旅立ちます。そこで、キューバの選手たちと交流する機会を得ました。

キューバにはベースボールアカデミーという組織があり、ほとんどの代表選手はそこで鍛えられます。このアカデミーには何段階ものレベルが用意されていて、若くして素質を見込まれた選手は、階段を上るように鍛えられていく。

社会主義国ならではの国を挙げての育成システムと言えますが、このアカデミーの下にも野球を楽しむ人々がいて、お世辞にも上等とはいえないバットやグローブを使って、空き地や道路で遊んでいる。それは、大人から子どもに至るまで、切れ目なく続いているのです。

本当にキューバの人たちは、どこでも野球を楽しんでいました。「キューバの男の子はボールとバットを持って生まれる」と、現地の人から聞かされましたが、納得できる光景をあちこちで目にすることができました。この素朴な野球への愛着こそが、キューバの野球の強さを支えていたのです。

キューバの主力のひとり、オマール・リナレス選手にインタビューしましたが、彼もまた、朴訥とした青年で、キューバの素朴な強さを体現していると感じたのを覚えています。

オリンピックの野球には、大リーグでもプロ野球でも味わえない魅力があるという赤瀬川さん。オール・プロで挑む北京オリンピックでも、オリンピックならではの面白さを発見したいと期待しています。

キューバに素朴な強さがある一方で、日本には、リナレス選手も参考にしたという、コツコツと点を取る細かい野球があります。キューバやアメリカの選手が見せるリストを利かせた投げ方は、日本ではあまり見かけません。このように民族による野球の違いを発見できるのが、オリンピックの野球の面白いところ。大リーグやプロ野球ではあまり感じることができないものです。

個人的には、オリンピックは陸上競技や水泳、レスリングなどのように、シンプルに「速さ」や「強さ」を競うもので、野球のように複雑なルールを持ち、さまざまな用具を必要とする人工的な球技はなじまないと思っていました。

それは、私のオリンピックイメージの原点に、水泳の古橋廣之進選手の圧倒的な強さや、東京オリンピックでの陸上競技棒高跳び決勝でのアメリカのハンセン選手とドイツのラインハルト選手による9時間7分にも及んだ死闘などがあったからだと思います。古橋選手はオリンピックでは残念ながら活躍できなかったものの、とにかく当時の日本人にとって強烈な存在でした。

ですから、1984年のロサンゼルスオリンピックで、公開競技として野球が行われると聞いた時は、実はいささか冷やかに見ていたのです。しかし、いざ始まってみるとオリンピック好き、野球好きの血が騒いで、どの試合もついつい見入ってしまいました。その結果、オリンピックならではの面白さに気づいたというわけです。

さて、いよいよ北京オリンピックです。日本チームは・・・、優勝するんじゃないでしょうか。根拠はありません(笑)。ダルビッシュ有選手の快投に期待して、テレビ観戦することにしましょう。

キューバとの決勝戦。追いつき追い越される展開の中、
日本チームは最後まで勝利への執念を持ち続けた

(2008.6.26掲載)

プロフィール:赤瀬川隼―あかせがわ・しゅん―
1931年、三重県生まれ。1983年にデビュー作『球は転々宇宙間』で吉川英治文学新人賞を受賞。以来、野球をテーマにした小説を次々と発表。1995年、『白球残映』で第113回直木賞受賞。2003年には、オリンピックを扱った『ブラック・ジャパン』を発表。


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