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第10回 諏訪湖から広まった下駄スケート

オリンピック・メモリアルグッズ

1912年からオリンピックに参加した日本。長いチャレンジの中にオリンピックにまつわる貴重な品々がある。それは選手たちが勝ち得た誇りとともに、掛替えのない宝である。その価値ある品々をシリーズでご紹介する。

協力:秩父宮記念スポーツ博物館 文:三上 孝道(秩父宮記念スポーツ博物館館長)

第10回

諏訪湖から広まった下駄スケート
〜世界と日本のスケートの起源


スケートは紀元前5000年以前にまで遡るものであり、どのような発展を遂げてきたかは定かではない。雪や氷を滑ることは、カンジキ(=橇はソリとも呼ぶ)などにもみられ、また、スキー、近年ではスノーボードなど多岐にわたっている。

もともと寒冷地の移動や運搬用具が遊び=スポーツ化し、スケートに変化していったとも言われる。スケートが発展していったのは比較的積雪量の少ない寒冷地の湖面や海面が多かったようだ。

明確にはなっていないが、旧石器時代の遺跡からマンモス、鹿、かば、馬などの骨を使ったスケートとみられる道具も発見されているという。英語のスケートは、オランダ語の「schaats」からきた言葉で「竹馬」を意味しているとも、ドイツ語の「schake」(=トナカイなどの脛骨)という説もある。

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長いブレードが下駄に取り付けられたスピードスケート用下駄スケート。足に固定する紐が付く。

900年代以降18世紀末まで、ヨーロッパ大陸は寒かった。シベリア並みの寒さで皮肉にもその時代にスケートが発展していったとも言われている。ブレード(滑走部分)は獣の骨を使っていたが、13世紀頃に鉄製のスケートが出現する(このブレードの実用化には3世紀以上かかったといわれている)。

その後、鉄製そしてスチールのブレードに木製の台座がつき、靴を履いて滑ったようである。1890年代に入ると靴とブレードが一体化した現在のスケート靴の原型が出現する。 日本に紹介されるのは1800年代後半となる。札幌農学校説、新渡戸稲造説、函館説などがあるが、この頃は外国人教師などが多数来日しており、はっきりしていない。

当時スケート靴は大変高価であり、日本人はポックリ状の下駄に、家を建てる時に使用する鎹(かすがい)を取り付けた「ベッタ」という代用品を考案する。「外国人が日常履いている靴にブレードを付けたのなら、日本人が履いている下駄で滑ってもいいじゃないか」というところだったのだろう。

その後、草履に竹を取り付けた竹スケートなど工夫され、「氷滑り、雪滑り」として大衆化していった。やがて、下駄に本格的なブレードをつけた「下駄スケート」へと発展していく。下駄スケートが一世を風靡したのは長野県諏訪である。ここで初めてのスピードスケートレースが明治41年(1908年)に開催された。

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フィギュアスケートのための下駄スケート。
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第1回アイススケート大会が明治41年(1908年)に諏訪湖で開催された。
写真:秩父宮スポーツ博物館

なぜ諏訪かというと、諏訪湖の氷の条件に恵まれていたことと、良質の鋼が採れ、鋸の名産地でもあったため、諏訪を中心に広まっていった。当時の下駄スケートでも「スピード」「フィギュア」「ホッケー」とブレードが分かれていた。特にスピードスケートは脱げないよう紐付きであった。こんなスケート靴で4回転ジャンプのフィギアをやったらたまらないだろう。

また、下駄スケートでのスピードスケート、アイスホッケーを想像しながら冬季競技を観戦すると面白い。これらは、当館に古い欧米のスケートとともに展示しているので、百聞は一見にしかずである。


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