コラム/インタビュー

冬季オリンピックの歴史

vol.4 冬季オリンピックで活躍した日本選手たち

前編後編

猪谷千春選手の偉業。
そして北沢欣浩選手が獲得した日本初のスピードスケートのメダル

戦後2度目、通算5度目の冬季オリンピックである1956(昭和31)年のコルチナ・ダンペッツォ(イタリア)冬季大会では、猪谷千春選手(現・JOC理事、IOC副会長)がアルペン・スキーの回転競技で銀メダルを獲得。日本中を歓喜させました。このヨーロッパ選手以外で初めての快挙は「日本もやればできる」という励みになりましたが、そのまま日本の競技力向上の成果、とするには無理がありました。

同選手は雪を求めて北国を回り、ついには国後(北方4島のひとつ)まで行ったほどの両親に英才教育を受け、長じては、ふとしたことで知り合った米国の実業家の尽力で米国留学、欧州遠征を積むなど、才能と努力の上に、環境にも恵まれ、当時の国内スキーヤーと育ちが異なっていたからです。

スキーが苦戦の歩みを続けているときに頑張ったのはスケートです。戦後初参加した1952(昭和27)年のオスロ(ノルウェー)冬季大会で高林清高選手がスピードスケートの500mで6位。1960(昭和35)年の第8回スコーバレー(アメリカ)冬季大会では、女子で初めて、ただ1人の代表となった高見沢初枝選手(のち長久保姓に)が4種目中3種目(500m、1000m各5位、3000m4位)に立派な成績を収めました。

以後、スピードスケートは毎回のように入賞者を数え、1984(昭和59)年のサラエボ(ユーゴスラビア)冬季大会には北沢欣浩選手が男子500mで2位となり、スピードスケート初のメダリストとなりました。

北沢欣浩選手は1984(昭和59)年に開催されたサラエボ(ユーゴスラビア)冬季大会のスピードスケート男子500mで銀メダルを獲得。Photo:アフロスポーツ

北沢欣浩選手は1984(昭和59)年に開催されたサラエボ(ユーゴスラビア)冬季大会のスピードスケート男子500mで銀メダルを獲得。
Photo:アフロスポーツ

1992(平成4)年アルベールビル(フランス)冬季大会にスピードスケート女子1500mで銅メダルを獲得した橋本聖子選手。 Photo:Getty Images/AFLO

1992(平成4)年アルベールビル(フランス)冬季大会にスピードスケート女子1500mで銅メダルを獲得した橋本聖子選手。
Photo:Getty Images/AFLO

続く1988(昭和63)年の第15回カルガリー(カナダ)冬季大会では、スピードスケート男子500mで黒岩彰選手が銅メダル。以後、男子500mは“お家芸”ともいわれる「新しい伝統」をつくることになりました。一方の女子では橋本聖子選手が新種目の5000mを含む、女子5種目すべてに入賞する大健闘。その後、トレーニングを兼ねて挑戦した自転車競技でも2度の夏季オリンピックの代表となり、冬季大会では続く1992(平成4)年アルベールビル(フランス)冬季大会にスピードスケート女子1500mで銅メダルを獲得しました。

この間、スキーに「喝」を入れたのは、1972(昭和47)年の第11回札幌冬季大会。ご存知の“日の丸飛行隊”が70m級ジャンプで笠谷幸生選手、金野昭次選手、青地清二選手の順に金・銀・銅メダルを独占した快挙です。戦前の夏季オリンピック、1932(昭和7)年の第10回ロサンゼルス(アメリカ)大会で、日本の水泳陣が男子100m背泳ぎでメダルを独占(清川正二選手、入江稔夫選手、河津憲太郎選手)した例がありますが、冬季大会ではもちろん初めてのことでした。

第11回札幌冬季大会の70m級ジャンプ、金メダリストの笠谷幸生選手。Photo:アフロスポーツ

第11回札幌冬季大会の70m級ジャンプ、金メダリストの笠谷幸生選手。
Photo:アフロスポーツ

この札幌冬季大会ではスケート関係が振るいませんでしたが、スキーは他にもノルディック複合個人で勝呂裕司選手が5位となり、日本がぶっつけ本番に近い形で参加した新競技のリュージュでも、男子2人乗り(新井理選手、小林正敏選手)が4位、女子1人乗りで大高優子選手が5位に入賞するという望外の収穫がありました。

後編:10個のメダル獲得と、23種目の入賞を果たした長野冬季大会

vol.1 1924年シャモニー・モンブランで始まった 前編後編
vol.2 天候異変、アマチュア問題。冬季オリンピックが抱えたもうひとつの戦い 前編後編
vol.3 冬季オリンピックを目指した日本代表選手団 前編後編
vol.4 冬季オリンピックで活躍した日本選手たち 前編後編

オリンピック関連コンテンツ


ページトップへ