コラム/インタビュー

オリンピアンズトーク

オリンピアンズトーク・原田結花さん

2004年1月に第28回オリンピック競技大会(2004/アテネ)の出場を決めた女子バスケットボール日本代表。前回のシドニーでは出場を逃しているだけに、選手や関係者の喜びもひとしおだ。
8年前、1996年のアトランタオリンピックに女子バスケットボール日本代表が出場したのは20年ぶりの快挙だった。夢の舞台に立った原田のひざを被うサポーターの下には、ケガとの闘いの傷跡があった。

大きな夢と目標がケガ克服の力に

「バスケットボールを始めてから中学・高校はケガとは無縁だったのに、実業団入団2年目の1988年に、初めて左ひざ前十字靱帯断裂というケガをして、シーズンを棒に振ってしまいました。そのときは、手術をして順調に復帰でき、カムバック賞もいただきました。それがアトランタ前の1995年、ナショナルチームのドイツ遠征中に、今度は逆の右ひざをケガしてしまったのです。

すぐに手術することを決めました。当初は術後2週間で退院し、リハビリに入れるという話で楽観していました。ところが、検査の結果は思いのほか悪く、膝の腫れが引かず熱も出て寝たきりの上、毎日すごく痛い治療が続くのに、快復の兆しがなかなか見えず辛かったです。結局3回も手術をして、5カ月の入院生活。しかも3度目の術後、血液検査の結果が悪く、大部屋から無菌室のような個室に移されてしまいました。『いったい私はどうなるんだろう』と、バスケットボールどころか歩けるようになるのかどうかもわからず、不安でいっぱいで、1人部屋で泣いてしまうこともよくありました。

その精神的にも一番辛いときに、オリンピック出場が決定しました。チームの仲間から電話をもらったときに話し合った『絶対に一緒にアトランタに行こうね!』という気持ちと、オリンピックという目標ができたことで、リハビリやトレーニングもがんばれたのでしょうね。いろいろな方のサポートや、仲間からの寄せ書き、母からの励ましなど、どれも本当にありがたかったです」

チームの中で自分ができること

「そうはいっても不安や筋力を回復させていくのは大変でした。バスケットボールは団体競技ですから、普段はみんなと一緒にトレーニングをして気持ちを盛り上げていくのですが、復帰するためのトレーニングはたった一人。誰も見てないし、さぼろうと思えばさぼれてしまう。みんなが練習している横で黙々とトレーニングしながら、選手たちが活躍する姿を見ていると、その中に入りたいという気持ちと、どこか心から仲間を応援したり、いいプレーを喜べない気持ちがありました。

チームの練習に参加できるようになってからも気持ちの中にモヤモヤしたものがありましたし、トレーニングに集中できない時もあったので、メンタル面の先生に相談したところ、『チームのために自分は何ができるのかをまず考えなさい』とアドバイスを受けました。あ、自分のことしか考えてなかったなって気づかされました。キャプテンの時は常に全体を見て判断していたのに、このケガでキャプテンからはずれた途端に自分のことばかり考えていたんですね。実際いいパフォーマンスもできていなかったし、結果も出せていなかったというのに。

そこで自分にできることは何かと考えたら、6番手で途中出場するポジションだから、盛り上げることだと。チームの流れを変えることが役割なら、それに徹していこうと思った途端、仲間に心から『がんばって』と言えるようになりました。ケガをしたことで、途中から出場する大変さも分かりました。そういう仲間がいて、ひとつのチームなのです。控えの選手は、練習時間以外でもパフォーマンスをあげるために練習しています。そういうことが分かってよかったと思いました」

オリンピック出場は私の集大成

「復帰して初めて海外遠征に行った時のことです。まだ筋肉の状態などが戻っていなくて、試合も久しぶりでしたし、ケガへの恐怖感もあって、ボールを持つだけで体が震えました。監督からは、帰国してからの壮行試合で結果を出さないとメンバーには残れないと言われました。ところが、その壮行試合では、あれ、どうしたのだろうというくらい、普通はしないようなプレーが短い時間のなかでできたり、試合の流れをがらりと変えて逆転したりする活躍ができたのです。とにかく私は絶対にオリンピックに行く、という気持ちがそういうプレーにつながったのだと思います。

ただ、壮行試合の時は気持ちのコントロールが難しかったです。今がんばればいいわけではなく、がんばるのはオリンピックなのですから。本番でまたケガをしないよう、いかに最高の状態に持っていくかがポイントでした。また、代表メンバーに選ばれなければ、がんばる意味もなくなってしまうので、この時はひざがどうなるか分からないながらも「やるしかない」という賭けでもありました。

もうひとつ、アトランタは私にとって意味のあるものでした。私は実業団4年目からキャプテンで、そのメンバーが主体となってアトランタに行くことが決っていました。キャプテン就任直後には、アジア大会で惨敗したこともありました。私の気持ちの中には、キャプテンとして評価できることとできないことが混在し、またケガによって得たこと、失ったことなどもあったので、自分ではアトランタを、自らの経験の集大成にしようという思いがありました」

自分は今何のためにここにいるのか、自分に問いかけることも必要

「選手生活の中では悩むこともありますし、バスケットボールが楽しいのかどうかわからなくなった時もありました。それがケガをしたことで、バスケットボールができないという悩みを経験し、バスケットボールで悩めることがどんなに幸せなことなのか気づくことができました。その後は精神的にとても充実し、バスケットボールができることがすごく楽しいとう気持ちでオリンピックの舞台へ向かえました。

バスケットボールの場合は、普段何万人も入る会場で試合をすることはありません。それがアトランタでは、あの大観衆と大歓声。そして世界のトップの選手が集まるこの場に自分もいるのだと思うと鳥肌が立ちました。試合後は私たちのプレーに対して、観客が総立ちで拍手をしてくれました。うれしかったですね。

オリンピックは開会式も特別です。何万人もの観衆のなか、日本代表として入場するのですから、言葉では言い表せないほど興奮しました。感動して泣いている選手もいたほどです。アジア大会などの大きな大会もあるけれど、オリンピックは別格です。

今度のアテネに出場する女子バスケットボール日本代表選手は、アトランタを経験して、その後のシドニーを逃した悔しさを知っている選手と、経験は浅いけれども勢いがある若手の選手がミックスされていますので、きっといいパフォーマンスができると期待しています。アテネの代表権を獲得した試合では劇的な勝ち方をしたこともあって、過信はいけないと思いますが、勝ったのは現実。自分たちでつかんだチャンスですから、思いっきり楽しんで来て欲しいですね。

オリンピックでは、移動の時間や食事、時差なども多少影響すると思いますが、体力的にも精神的にもタフにならないといけないですね。お祭り的なムードに流されないように、自分のペースを見失わず、自分をしっかり持つことが大切だと思います。練習会場まで遠かったり、取材が途中で入ったりと普段とは状況が違うので、ストレスを感じることもあるでしょうが、何のためにここに来ているのかという本来の目標をしっかり持てば、コントロールできると思います。

私たちの時のメンタルトレーニングの方法は、一日の終わりに今日の反省と、それをどうすれば改善できるかを書き出すことを毎日していました。面倒ではあってもアタマが整理できるし、翌日するべきことが明確になってよかったと思っています。それから、結果を出すことは大事ですけれど、自分の中でどれだけ攻めた気持ちで戦えるか、終わったときに、すべて出し切った充実感を感じるようにプレーすることも大切でしょう」

選手の気持ちを伝える立場になって

「最近はバスケットボール以外の競技にも足を運ぶようにしています。見る楽しさも分かってきました。現役の時にはもちろんプレーするほうが楽しかったですから、ほかのスポーツはただ漠然と見てましたが、『この選手は、今、どんな心境でいるんだろう』というように、いろいろな見方もできるようになりました。

中心選手の気持ちもわかるし、ケガをしたことで控えの選手の重要性や気持ちも伝えることができるのはいいことだと思います。ただ、取材という立場で自分から積極的に輪に入っていくことが初めのうちはできなくて・・・・・・。今はできるだけ多くの選手の思いや、話を聞きたい、伝えたいと思って活動しています。

アテネでは日本女子の団体競技の参加が多いですね。女子バスケットボールが火をつけたと思っています(笑)。ほかの競技の選手にも少し刺激があったのかな、なんて。予選会が日本で行われた競技は、ホームということで地の利があったと思います。本番は海外ですから、メンタルと技術を磨いてがんばって欲しいですね。バスケットボール、バレーボール、ホッケー、サッカーと、女子団体競技は注目されているのでプレッシャーもあるでしょうが、それをうまくパワーにしてもらいたいです。経験したことのないような声援や拍手、大勢の人たちの前でプレーするのは気持ちいいですよ。圧倒されるほどの雰囲気を心地よいと感じて味方にすれば、きっといいプレーにつながるはずです。そこにはチームメイト、スタッフ、日本を応援してくれる皆さんがいることを忘れないでください。自分1人ではありません」

原田裕花
1968年山口県新南陽市(現周南市)生まれ。
元バスケットボール日本代表選手。
小学校3年からバスケットボールを始め、大分・藤陰高校では主将として活躍。卒業後の1986年にジャパンエナジーに入社し、全日本チームに加入。
ジャパンエナジーでは、オールジャパン優勝、日本リーグ優勝に貢献し、新人賞も受賞。1990年から6年間にわたり全日本とジャパンエナジーの主将としてチームに貢献。女子バスケットボールとしては20年ぶりの出場となった1996年のアトランタオリンピックに出場し、7位入賞。
現在はバスケットボール解説、講演、スポーツキャスター、コラム執筆などで活躍中。BS日テレのスポーツ番組「スーパースポーツマガジン」のレギュラーコメンテーター。8月のアテネオリンピックで、女子バスケットボールのテレビ解説を務める。
(財)日本オリンピック委員会アスリート委員



ページトップへ