コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ スキー・アルペン 皆川賢太郎

オリンピックでメダリストになるのが、子どものころからの夢

文:松原孝臣


2006年2月25日。一人の日本人スキーヤーが喝采を浴びた。
その日、トリノ冬季オリンピックのスキー競技を締めくくるアルペン・スラロームがセストリエールの会場で行なわれていた。
93選手中31人が転倒するなど苦しんだコースで、1回目、トップから0.07秒差の3位につけて迎えた2回目。スタートの後、右ブーツのバックルが外れるアクシデントに見舞われた。にもかかわらず、2回目も見事な滑りをみせつける。
結果、表彰台までわずか0.03秒の4位。
日本の応援団ばかりではない、欧州の観客たちも歓声をあげた。


2006年トリノ冬季オリンピック、男子回転で4位に入賞。日本人の入賞は50年ぶりの快挙
(写真提供:アフロスポーツ)

見守っていたある日本の記者は、興奮した欧州の記者から「great!」と祝福を受けた。その海外の記者には、「日本人がアルペンで活躍するとは」という気持ちもあったかもしれない。
無理もない。1956年コルチナ・ダンペッツォ冬季オリンピックにおける猪谷千春の銀メダル以降、のべ41人の日本人選手が挑み、厚い壁に阻まれて、入賞にも手が届くことはなかった。日本と違い、欧州ではアルペンこそスキー競技の花形である。当然選手層は厚い。実は体格差も影響する競技である。
であるからこそ、メダル獲得に至らないまでも、まぎれもなく快挙であり、日本のスキー史に残る成績であった。

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トリノ冬季大会の心境を振り返る

あれから3年あまりが過ぎた。
あの日、会心の滑りをみせた皆川賢太郎は、トリノをこのように振り返る。
「基本的に誰かと競い合う競技じゃないので、しっかり自分が納得いくように出しきることを考えていました。それができての数字だったので満足もありますね。子どものときからオリンピックでメダリストになるのが夢だったので、少し残念だなという気持ちもありましたが、自分はプレーヤーでいられる時間が、限られてはいるけどまだ残されている。その中でクリアすればいいという感覚ですね」

トリノのレースで印象に残るシーンがあった。2回目のスタート時、皆川の表情に笑みがうかがえたのだ。
「控え室からリフトで上がっていくとき、ものすごい緊張したんですよ、やっぱり。それはすごい覚えている。コースの上にある控え室で休んでいるときにいろいろなことを考えたんです。未来に対しての希望とか現状に対する肯定とか、いろいろ考えていて、スタートの時に自分の後ろを振り返ったら、後ろに2人しかいない。
『ああ今俺は銅メダルなんだな』と思ったんですね。その瞬間に、普段どおりやらないとだめだなと思った。やってやるという感情は当たり前だと思っているので、そのうえで“いかにして自分を表現できるか”というのがすごく大切だなといつも思っていたんですね。たぶんやってやるというそのままの気持ちでいっていたら、途中までよくても、たとえばアウトしてしまって、数字というものが残らなかったかもしれないですよね。 選手は1日で作っているわけじゃないじゃないですか。何年もやっている中にアップダウンがあって、その中で十分に準備できたからふと余裕ができたというか」

「表現」「何年もやっている中にアップダウンがあって」と言った。その言葉に、皆川の足跡が隠されている。

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