コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ 柔道 内柴正人

心の記念館の中に1個でも多くのタイトルを

文:折山淑美

勝てない時期があったから北京オリンピックがあった

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初出場のアテネオリンピックで金メダルを獲得
(写真提供:フォート・キシモト)

"運をつかむ才能のすごさ"。北京オリンピックで連覇を達成した柔道男子66kg級の内柴正人に感じたのは、まさにそのひと言だった。

60kg級から66kgに階級を変更して出場権を手にした2004年のアテネオリンピック。あれよあれよという間に金メダルを獲得したものの、翌年の世界選手権カイロ大会は準優勝に終わった。

その頃、国内では、2003年に66kg級ながら無差別で戦う全国高等学校選手権で優勝し、2004年には世界ジュニア選手権を制して注目された秋本啓之が順調に力を伸ばしていた。内柴はその秋本に、2006年アジア競技大会と2007年世界選手権リオデジャネイロ大会の代表を奪われたのだ。

誰の目にも、66kg級は内柴の時代から秋本の時代へと、確実に移行しているようにみえた。

「正直、厳しかったですね。オリンピックチャンピオンってこんなもんなんだな、こうやって消えていくんだろうな、という気持ちはすごくありました。でも、気力がなかったというわけではなかったんです。僕は柔道に対して手を抜くことは絶対にないので……。その時々にできるだけの努力は精一杯やっていたんです」

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準優勝に終わった2005年世界選手権カイロ大会
(写真提供:フォート・キシモト)

アテネオリンピックの前は、国内の66kg級の選手たちも、自分のことを「階級を上げてきた」くらいにしか考えていないから、今しか日本代表になれるタイミングはないという気持ちでやっていた。さらに、「世界でも僕の情報が少ないうちに勝ってしまったら楽だろうな」とも。

優勝を果たしたアテネオリンピック後は、同じような投げられ方をされるようになり、自分の苦手なスタイルというのがハッキリとわかってきた。「研究されているな」という気持ちも強くなってきた。

「1回チャンピオンになったわけだから、それでもう辞めてしまってもよかったんです。だけど僕を研究してくる相手を攻略して、また夢の舞台であるオリンピックで勝つというのは、僕の柔道家としての経験にはすごいプラスになるんじゃないかと思ったんですね。だから正直、あの勝てない時期があったから北京オリンピックがあったのかなと思っています」

内柴もアテネオリンピックの翌年には、当然のように世界選手権の優勝を狙った。柔道関係者はよく「オリンピックと世界選手権を制してこそ、真の世界チャンピオンになれる」という言葉を口にするからだ。彼自身、もしそこで優勝していたら、完璧に柔道は辞めていただろうと言う。ちょうどその頃は、「あと1回優勝したら辞めよう」と思っていたからだと。


2006年アジア競技大会と2007年世界選手権リオデジャネイロ大会の
代表を奪われた秋本啓之選手と対戦(2006年嘉納治五郎杯)
(写真提供:アフロスポーツ)

「でも、僕が悪いのか神様が悪いのか、(アテネオリンピック後は)ずっと勝つことがなくて……。それで北京オリンピックがあったから結果オーライですけどね」
内柴は明るく笑った。

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