コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ 陸上競技 朝原宣治

自分の経験を若い選手に直接教えたい

文:折山淑美

北京オリンピックの決勝レースは、
怖くて仕方なかった

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大阪ガス本社にて、インタビューに応える
朝原選手

8月の北京オリンピック。強豪国のアメリカやイギリス、ナイジェリアがバトンミスにより予選で敗退、日本が3番手の記録で決勝へ臨むとなった途端、朝原はこれまでに経験したことがない怖さを感じたと言う。

「もし4番手で予選を通過していたら、『ひとつ上がればメダルだ!』というような、チャレンジする気持ちになれるんです。でも今回はそうではなくて、『普通にいけばメダルかも』という状況でしたから。こんなチャンスはそうそう巡ってくるものではないから、余計に緊張するというか。メダルのことを考えないようにしようと思っても、心の片隅には『絶対にメダル!』という思いもあるし、『失敗できないな』という気持ちもある。だからそれが怖くもあり、辛くもあり・・・・・・」

1996年のアトランタオリンピック以来、朝原は4×100mリレーチームの中心選手になっていた。決勝も2000年シドニーオリンピック以降、オリンピックと世界選手権で6回も経験している。

それらの決勝は朝原にとっては楽しく臨めるものだった。スターティングブロックからスタートする100mと違い、加速しながらバトンを受け取って走るリレーなら、世界の強豪選手たちと一緒に走ってもそんなに差はないだろうし抜かれることもないだろう、という自信もあった。

だが今回、100mは競技初日の2次予選で敗退。しかも、1次予選より0秒12もタイムを落とす10秒37と、第3組の最下位でゴールしていたのだ。36歳になった自分の体力が、どれほどのものであるかもよくわからなかった。

「昨年の大阪での世界選手権は結構余裕を持って予選を走ったのですが、北京オリンピックでは予選から思い切りいっていました。そこで力を使い過ぎていたら、決勝は最後まで保たないかもしれない。もしそうなれば、絶対に他のチームが上がってくるじゃないですか。そういうことを考えると恐ろしくて仕方なかったんです」

チームメイトの髙平慎士は「朝原さん、予選を走り終わった途端に緊張していました」と話すほどだった。

緊張感と恐怖心に翻弄され続けるような26時間を過ごして迎えた決勝。脚の付け根に若干の不安があったという第1走の塚原直貴がすばらしいスタートを切り、ジャマイカと並んで第2走の末續慎吾にバトンを渡した。第3走の髙平はほぼ同時にバトンを受けたウサイン・ボルトには突き放されたが、ジャマイカに次ぐ2位で朝原につないだ。


北京オリンピック男子4×100mリレー決勝。 写真提供:フォート・キシモト

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銅メダル獲得が確定し、朝原選手の元に駆け寄るチームメイトたち
写真提供:アフロスポーツ

「塚原くんから順調にバトンが渡ってきているのはわかっていたけど、ジッと見ていると自分の走りに集中できなくなるので、ポイントポイントしか見ていなかったんです。走り出してすぐにトリニダード・トバゴに抜かれたのはわかったけど、それからは何もわかりませんでした。ゴールした瞬間は、走りきれたことにまずホッとして、それから順位が気になったんです。戻って来ている髙平くんにが『3位かな? 4位かな?』って指を出したんです。それが4に見えて『やっぱり4位か・・・・・・』と思ったんですね。でも3位とわかってからは、辛い思いから開放されたのと嬉しさがゴチャゴチャになって、よくわからなくなっていました」

チームメイトの3人が「朝原さんにメダルを!」と言い出したのは、前年の世界選手権大阪大会からだった。長年にわたり、不動のアンカーとしてチームを引っ張ってきてくれた彼に、最後にはメダルをプレゼントして送り出してあげたいという思いだった。それが本当に北京オリンピックで実現するとは。まるでテレビドラマのようなフィナーレだった。

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