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アスリートメッセージ

体操・体操競技 内村航平

自分で決めた道だから、
やるからにはちゃんとやる。

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練習風景。厳しいトレーニング後のリラックスした表情。写真提供:アフロスポーツ
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2006年全日本体操選手権大会での演技。個人総合で8位に入賞した。写真提供:アフロスポーツ

長崎県諫早市生まれの内村は、両親が運営する体操クラブ「スポーツクラブ内村」で3歳の時から体操を始めた。

「最初は、ただ単に跳んだり跳ねたりするのが楽しくて。それで知らないうちに始めていました。本格的に練習を始めてからも、回ったりひねったりするのが楽しかった。日常生活では見られない景色を見られるのが面白かったんです」

その頃から「オリンピックに出られたらいいな」とは思っていたが、中学時代までは、ただただ楽しく体操をやっているだけで、それほど欲は持っていなかった。全国中学校体操競技選手権大会(以下、全中)も3年で出場して個人42位に終わったが、出られたことが嬉しいだけで、悔しさなどはまったく感じなかった。

「両親からは何も言われなかったから、自分でやりたいことをやっていましたね。当時は、全中へ行けたらいいなという程度でした。だから通し(4種目/ゆか・あん馬・跳馬・鉄棒)の練習はやったこともなくて、試合はいつもぶっつけ本番だったんです。練習でも基本的にきついことはやらなかったし。でも、おかげですごく楽しく体操ができた。それでここまで続けられたのかなと思っています」

ひねりのスピードの位置感覚が特に優れていると評価される内村の素晴らしい持ち味は、楽しむ体操のなかで磨き上げられていたのだ。

中学3年生の時に地元・長崎で開催された高校総体で星陽輔(順天堂大学)の演技を見て「ああいう風な演技がしたい」と思った内村は、より高いレベルを目指すために上京し、東洋高校へ通いながら朝日生命体操クラブで練習する道を選んだ。


高校からはじめたつり輪。集中力を高める。 写真提供:アフロスポーツ

「通しの練習も高校へ入って初めてやったくらいで、そこから本当に一から鍛えられたという感じですね。柔軟性もなかったから、そういうのも全部。泣きはしなかったけど、きつかったですね。でも、自分で決めた道だから、やるからにはちゃんとやろうと思った。最初のうちは補強とか基本ばかりで面白くなかったけど、高校2年生くらいから結果が出てきたんで」

つり輪などの力技は、高校へ入って初めてまともな練習をしたくらいだった。他の選手よりスタートは遅かった。だが、高校2年生の時に全日本ジュニア体操競技選手権大会で個人総合3位になってからは徐々に自信もついてきた。

同年度に行われた全国高校体操競技選抜大会で個人総合1位になり、高校3年生の時に出場した高校総体で個人総合2位、全日本ジュニアは個人総合1位と一気に階段を上がり始め、全日本体操選手権大会でも個人総合8位になった。

ボンヤリとしか見えていなかったオリンピックが、ハッキリと見えてきた。

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