コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ 水泳・競泳 中西悠子

自分のための、集大成としてのオリンピック。
厳しい戦いを心待ちにしている。

納得できなかった
アテネオリンピックの銅メダル。

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笑顔で取材を受ける中西選手。

2004年アテネオリンピック。200mバタフライ決勝を控えてウォーミングアップを始めた中西悠子は、時間が気になって仕方なかった。落ち着こうと思っても、なかなか冷静になることができない。

「あと1時間で決勝や」
「うわ、レースまでもう30分しかない」

何度も何度も、時計を見て時間を確認した。「オリンピックの雰囲気って異常ですね。あれはホントにきつかった。あの時は(自分が)3番か4番というのがわかっていたから、『4番になってメダルを獲れなかったら、日本へ帰られへん』って思ってたんです」

初出場のオリンピックだった2000年のシドニー大会は、ただ、ただ緊張していただけだった。日本の女子バタフライ勢では2番手の存在で「決勝に出るのがやっとだろう」と思っていた。決勝へ進むことはできたが、気持ちが入り過ぎてスタート直前のストレッチで太股を肉離れしてしまった。そのまま泳いで7位に終わったが悔しさもなく、400m個人メドレーで銀メダル獲得した同い年の田島寧子を「すごいな」と見ているだけだった。

だが、アテネは違った。メダルは目の前にあったからだ。

中西が世界の扉を開いたのはアテネの前年、2003年7 月にバルセロナで開催された世界選手権だった。

2001年日本選手権で初優勝して200mバタフライの日本第一人者となった中西は、同年7月の世界選手権でも4位になった。そして2002年は、三田真希が持つ2分08秒13の日本新記録にあと0秒02まで迫り、秋のアジア大会で初優勝と、世界と戦う準備はできていた。

「大会に入ってから、何人か調子の悪い選手がいたから、『うまくいったら(メダルを)狙えるんちゃうかな』という感じだったんです」

最初の100mで59秒23の自己新を出してスピードがついたことを自覚した中西は、2分07秒台前半も出せるのではないかと思った。前半から飛ばし、150mまでトップを維持する積極的な泳ぎをした彼女は、ラスト50mこそ浮いたが3位入賞を果たした。しかも、2分08秒08の日本新記録というおまけ付き。学童新も中学新も高校新もなかった彼女にとっては、22歳にして初めて出した“新記録”だった。それまでずっと『出せる』と言われ続けながらも、もう少しというところで逃していた勲章だったのだ。


2003年バルセロナ世界選手権。自身初の日本新記録を樹立 写真提供:フォート・キシモト

その当時の世界新記録はオティア・イェジェイチャク(ポーランド)が持つ2分05秒78。まだ遠いと思っていた。だが銅メダルを獲得してみれば、世界新記録を持つライバルも2分07秒56と、0秒52先にいるだけだった。

「まさかそこまで迫っているなんて」

そんな思いがアテネのメダルを意識させた。世界選手権のメダルとオリンピックのメダルは絶対に違う。どうしてもそれを獲らなくてはいけないと、自分で自分にプレッシャーをかけてしまうことになったのだ。

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2004年アテネオリンピックで銅メダルを獲得
写真提供:アフロスポーツ

苦しい状況のなかで獲得したアテネオリンピックの銅メダル。これで競技を辞めるだろうと思っていた中西は、当然のように満足感に包まれるはずだと思っていた。しかし、終わってみると納得できないことの方が多かった。

「まずはタイムですね。アテネ前の1カ月くらいはずっと調子が良くて『絶対にベストが出るな』と話してたんです。もしかしたら6秒台。悪くても4月の日本選手権で出した2分7秒99は大きく更新できるだろうと思ってた。でも2分08秒04だったから『アレッ?』と思ったんです」

帰国すると、銅メダルという微妙な位置にも納得できないものを感じた。周りの人は喜んで「おめでとう」と祝福してくれ、自分も嬉しいことには変わりなかった。だが、金メダルを獲った北島康介や柴田亜衣などと並ぶと、どこか虚しさを感じる。200m背泳ぎで銅メダルを獲得した中村礼子と「銅メダルってあんまりすごくないのかなぁ」と話した。

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