コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

アスリートメッセージ 大声で言う気はないけど、やっぱり北京ではメダルが欲しい。周りの人たちに何かを形で返すとしたら、やっぱりメダルしかないから。

文:折山淑美

楽しいだけのトランポリンから、競技としてのトランポリンへ

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2007年11月、第25回トランポリン世界選手権大会
(写真提供:アフロスポーツ)

2005年世界選手権で銀メダル獲得。2005〜06年ワールドカップシリーズは8戦中4連勝を含む5勝を挙げ、ワールドカップファイナルでも優勝(全て個人種目)と数々の実績を持つ上山容弘。2007年世界選手権3位で早々と北京オリンピック代表の座を手にした彼の競技人生には、2度の転機があった。

最初の転機は小学校6年生、初めて出場した国際大会の、年齢別世界大会だった。父親の剛さんがコーチをしていた影響で3歳からトランポリンを始めた上山だが、エリートとして育った訳ではなかった。

父親からは「止めたかったら止めてもいい」と強制されたわけでもなく、彼自身も“楽しさ”に魅了されて競技を続けていたのだ。

だがトランポリンは、技が高度になればなるほど危険性も大きくなる競技。上山も小学生の頃には宙返りなどの技への怖さを感じてしまう時期があった。年齢別の全国大会へ出場しても何とか決勝に残れるだけで、10位前後の成績に低迷していたのだ。

「それが小学校6年生の時、たまたま選考会を通過して年齢別世界大会の11〜12歳の部に出場できたんです。でもそこで、技を10回続けられないで外に出てしまうという大失敗をしてしまったんです。それまではそんな失敗をしたことがなかったからものすごく悔しくて、本気で『世界の舞台で戦える選手になりたい』と思いましたね。それから、真剣に競技へのめり込むようになったんです」

楽しいだけのトランポリンから、競技としてのトランポリンへ・・・・・・。

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インタビュー風景。笑顔で応える上山選手。

意識が変わっただけ、それまでは挑戦するのを躊躇していた技にも挑めるようになった。ひとつの技ができるようになる喜びに、これまでとは違う楽しさを感じた。新しい技へも、ひとつ出来たら次へ、出来たら次へと自分からチャレンジするようになり、「あの人と一緒に戦いたい」「あの人に勝ちたい」という目標も持つようになった。初出場で大失敗をした年齢別世界大会も、中学校3年生で15〜16歳の部に優勝して初の国際大会のタイトルを手にした。

中学校2年の時、トランポリンの2000年シドニーオリンピック正式採用が決まった。だがその当時の彼にとってオリンピックは雲の上の大会で、現実味は感じなかった。シドニーへ出場した日本のトップ選手・中田大輔も雲の上の存在でしかなかった。

「自分の演技の構成がある程度固まってきたのは高校2年くらいからですね。それまでは寄せ集めじゃないけど、出来る技だけを集めて構成してる感じでした。でも、その後中田さんの次くらいの位置になれて初めて『何とか勝てないかな』と考えるようになりましたね」

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