コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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トライアスロンは過酷な競技と思われがちだ。スイム、バイク、ランの3種目を連続して行う競技とは認知されていても、その距離に種類があることは意外と知られていない。
「オリンピックではスイム1.5km、バイク40km、ラン10kmの計51.5kmを走るんですが、意外とランはフルマラソンの距離を走ると勘違いされることが多くて。昨年12月のアジア競技大会で私が2位になったときも、新聞の見出しは『鉄の女』。過酷なイメージがどうしてもついてしまいますね」と上田藍選手は笑った。

2006年9月に行われたITU世界トライアスロン選手権ローザンヌ大会では12位と善戦。第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)では銀メダルを獲得した。しかし間近で見る彼女は小柄で華奢な女性。鉄の女というイメージからはほど遠い。
「私みたいな小さな選手でもトライアスロンはできると示したかったのです。だからアジア競技大会で優勝して、より多くの方にこの競技を知ってもらいたかったのです。それに私個人の目標としては勝つことだけを目標にしてきたから、銀メダルという結果は素直に喜べなかったですね」

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第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)より
(写真提供:アフロスポーツ)

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第15回アジア競技大会(2006/ドーハ)より
(写真提供:アフロスポーツ)

トライアスロンがアジア競技大会で採用されたのは、今回のドーハ大会が初めて。上田選手は2006ASTCアジアトライアスロン選手権大会で優勝しており、それだけに今回の結果は本人にとっても納得できるものではなかった。ドーハ大会を振り返り、上田選手は自分の弱点を次のように語った。
「中国の嘉峪関で開催されたトライアスロンのアジア選手権大会のコースは標高1650mの高地で行われましたが、ドーハでは平坦でシンプルなコースでした。しかもアジア競技大会は参加人数が少なく、単調な展開になりがち。だからひとつ失敗すると、それが後々響いてしまって、最悪、メダルすら獲得できないという状況にもなり兼ねなかったのです。今回のレースでスイムに課題があることがわかり、今はその克服に重点をおいてトレーニングしています」

上田選手がトライアスロンと出会ったのは今から6年前。中学では水泳部に所属し、同時に全国中学駅伝大会では3区の区間賞を獲得するなど、根っからのスポーツ少女だった。
「高校では陸上をしていたのですが、トップに行ける明確な目標が見えてきませんでした。もっと上を目指せる競技はないかと考えたとき、これまで経験してきた水泳と陸上の両方が生かせるトライアスロンにたどりつきました」

高校3年生で関西のトライアスロンの大会に参加し、優勝。「これはチャレンジしがいのあるスポーツだな」と手ごたえを感じた上田選手だが、強くなるためにはどのような道に進めばいいかわからなかった。悩み続けていたある日、上田選手の母、ひとみさんが偶然目にしたトライアスロン専門誌の記事が運命を変えた。そこには現在も日本ナショナルチームのチームマネージャーでもある山根英紀コーチのコラムが掲載されていた。「このコーチなら任せられる」とひとみさんは直感。
「行動派の父が連絡を取ると、山根コーチが『大阪に来る用事があるので』ということで会ってみることになったのです。京都駅で両親と私でコーチと話をしました。コーチは『スカウトはしない方針なのですが、強くなりたいのならば来てみれば』と言ってくれて。その場で『お願いします』と頼みました」

両親の強いバックアップを受け、上田選手は現在のトレーニング拠点である稲毛インターナショナルトライアスロンクラブでトレーニングを受けるようになった。
「今の私があるのは父と母のおかげ。私は何の迷いもなく出てきたつもりですが、両親はかなり心配だったみたいです。水泳と陸上の両方をやらせてくれていたのも、どっちの道でも行けるようにといった計らいがあったようです。ここに来て、本当にいい環境でトレーニングできているので、感謝しています」
稲毛インターナショナルトライアスロンクラブに来た当初は同クラブのスイミングスクールの受付をしながら、トレーニングをしていた。2005年からはプロトライアスリートとして、トレーニングに専念している。


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