コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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2005年9月26日から10月2日まで、ハンガリーのブダペストで行われたレスリング世界選手権で坂本日登美選手は女子51kg級で優勝を飾った。
この優勝は坂本選手にとって2000年、2001年の世界選手権以来3回目。見事復活を遂げた優勝でもあった。

この復活劇は坂本選手にとって大きな意味のあるものだった。
挫折から這い上がったこと、そしてもうひとつは同郷のライバル伊調千春選手から勝ち取った代表での勝利だったからだ。

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2005年世界選手権大会より(写真提供:アフロスポーツ)

「挫折を経験し、そこからまた戻ってくることができた証となったこの世界選手権の優勝は、これまでのどの優勝より嬉しいことでしたが、代表決定プレーオフで伊調千春選手に勝てたことは、自分のレスリング人生の中で最高の出来事でした。
この世界選手権で勝てたのも、過去に一度千春選手に負け、自分のレスリングを見直すことができたからです。千春選手には小さい頃から同じクラブでずっと勝てず、大学に入ってからようやく勝てた選手です。妹の真喜子も対戦していますし、自分にとっては切っても切り離せない相手です。千春選手がいたから自分も強くなれたのだと思います」

小学3年生で青森県八戸市にある八戸キッズでレスリングを始め、1998年全国高校選手権優勝、同年全日本選手権51kg級優勝と、まさに順風満帆のレスリング人生だった。しかし女子レスリングがアテネオリンピックでオリンピック正式種目に採用されたことを知り、坂本選手の中に複雑な思いが生まれた。
オリンピックで採用されたのは48kg級、55kg級、63kg級、72kg級の4階級。そこには坂本選手が属する51kg級はなかったからだ。

「女子レスリングがオリンピックに採用されると聞いたときは嬉しかったのですが、自分の階級がないことを知ったとき、正式種目になどならなければよかったと思ってしまいました。55kg級には吉田沙保里選手がいますし、48kg級には妹がいますので、とても複雑な気持ちでした」

当初は48kg級に階級を下げて臨むつもりでいたが、5歳下の妹、真喜子選手のことが頭をかすめた。両親の「姉妹対決だけは見たくない」という想いを尊重し、55kg級に上げることを決意した。しかし膝の故障に悩まされ、手術を受けるも思うように回復せず、その後またケガをしてしまうことになった。そして彼女の前には吉田沙保里選手という大きな壁が立ちはだかっていた。

「55kg級で出場した2002年の全日本選手権決勝で、吉田選手に開始25秒で負けてしまいました。そのショックでアテネオリンピックを断念することになったのです。それまでオリンピックという目標を持ってレスリングをしてきたのに、それを失いどうしていいかわからなくなっていました。実家に帰って間食ばかりして、気がついたら体重が74kgまで増えていました」


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