コラム/インタビュー

アスリートメッセージ

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2005年9月にエジプトのカイロで行われた2005年世界柔道選手権女子無差別級決勝で薪谷翠選手は自分よりも倍近く大きな選手を相手に戦った。残り30秒。彼女は相手の一瞬の隙をつき、小外がけで1本を取り悲願の金メダルを獲得。表彰台では輝くような笑顔を見せ、優勝の喜びをかみしめていた。

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2005年世界柔道選手権より(写真提供:DPPI/PHOTO KISHIMOTO)

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2005年世界柔道選手権より(写真提供:アフロスポーツ)

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2005年世界柔道選手権より(写真提供:アフロスポーツ)

「世界選手権の前に行われた国内の大会で2回負けていたにもかかわらず世界選手権に出させてもらったので腹をくくらないといけないと思いました。負けたら“引退する”という気持ちで臨みました」
と薪谷選手は大会前の心境を話してくれた。

表彰台で見せた笑顔の裏には大きな挫折の経験があった。それは2002年、韓国の釜山で行われたアジア大会で起きた悲劇だ。試合中、右ひざの皮膚が裂ける開放性脱臼とじん帯を3本切断し、再起不能といわれる大ケガを負った。

「担架で病室に運ばれているとき、麻酔で意識がもうろうとしていたから本音が出たのか、ずっと『柔道怖いよ』とうわごとのように言っていたみたいです。でも入院中、見舞いに来てくださった吉村和郎前ヘッドコーチから『来年、お前を世界選手権に出す』と言われ、それが自分の目標になり、おかげで復帰も早くなりました。
次の年、2003年に大阪で行われた世界選手権では1回戦で負けましたが、また戦える気持ちになっている自分がいました。復帰までの1年間は打ち込みから始めて、投げ込み、徐々に乱取りで体を戻していきました。家族にはへこんでいるところを見せないようにしていましたが、その分、コーチの日蔭暢年先生には弱いところばかり見せてしまいました。その恩返しには世界選手権で優勝するしかないと思っていました」
と薪谷選手は当時を振り返った。


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