第29回オリンピック競技大会(2008/北京)

バレーボールのみどころ

日本代表選手団

日本男女チームのこれまで

全日本女子はオリンピックに1964年東京オリンピック以来連続出場を果たしていたが、1980年のモスクワ大会では出場権を獲得したものの、JOCの決定で日本選手団が不参加となったため出場できなかった。その後、1984年ロサンゼルス大会、1988年ソウル大会、1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会と再び連続出場をしてきたが、2000年シドニー大会は初めて出場権を獲得できずに不参加となった。しかし、2004年アテネ大会は出場を果たし5位という結果を収めた。

全日本男子も東京オリンピック以来連続出場を果たしていたが、1980年のモスクワ大会では初めて出場権を逃し、その後1984年ロサンゼルス大会、1988年ソウル大会と再び連続出場してきたが、1992年バルセロナ大会出場を最後に3大会連続でオリンピック出場権を逃した。今大会は実に16年ぶりのオリンピック出場となる。

この間、全日本女子は優勝2回(1964東京大会、1976モントリオール大会)、2位2回(1968メキシコ大会、1972ミュンヘン大会)、3位1回(1984ロサンゼルス大会)と計5個のメダルを獲得。全日本男子は優勝1回(1972ミュンヘン大会)、2位1回(1968メキシコ大会)、3位1回(1964東京大会)と計3個のメダルを獲得するという素晴らしい成績を残してきた。

しかし全日本女子は1988年のソウル大会あたりから、全日本男子は1972年のミュンヘン大会を最後に、下降線を辿っている。その要因として、1980年代に入って中国、キューバ、アメリカ、イタリア、ブラジルなどが本格的にバレーボール競技の強化に取り組み台頭してきたこと、体格的に恵まれていない日本が技術だけではそれらの諸国に対抗できなくなってきたことなどが挙げられる。

日本代表チーム紹介

女子代表チーム

全日本女子は2003年2月から柳本晶一監督体制がスタートした。柳本監督は1951年6月5日生、大阪市出身。1970年大阪商業大学附属高等学校卒業後、帝人三原、新日本製鐵(現・堺ブレイザーズ)、日新製鋼で選手(ポジションはセッター)、監督として活躍し、1997年には女子チームの東洋紡・オーキス監督に就任。

選手として実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)、日本リーグ(現・Vプレミアリーグ)時代に敢闘賞、レーブ賞、ベスト6賞を受賞。監督として新日本製鐵で1度、東洋紡・オーキスで2度優勝監督となり、そのキャリアから、一部のメディアでは弱体チームを優勝に導く「再建屋」と呼ばれている。

ナショナルチームでは1974年テヘランアジア競技大会(優勝)、同年メキシコ世界選手権(3位)、1976年モントリオールオリンピック(4位)に選手として出場。1997年には全日本ジュニア男子監督として世界ジュニア男子選手権アジア予選(3位)の指揮を執った。

2003年2月11日に全日本女子監督に就任した柳本は、中長期を視野に入れ、キャリアとテクニックに優れたベテランと、高さとパワーを秘めた若手有望選手をミックスしてチームを編成した。「変化とスピード」、「アンダー2」など常に明確な目標を掲げチームを牽引し、全日本女子を率いて今年5年目を迎えた。しかし、2004年アテネオリンピック5位、2006年世界選手権6位、2007年ワールドカップ7位とメダルには一歩手が届かず、世界との実力差を痛感。そこで柳本は対戦国と自身のチームを両方向から徹底的にデータで洗い出し、対戦チームの攻略とチームの弱点強化に徹した。アタッカーがトスを打つスピードを1秒以内にすることを目標に掲げ、攻撃のスピード化を進めたことも新しい挑戦の一つだ。

前回アテネオリンピックでは、世界最終予選をトップ通過しながら本番の舞台では全く力が出せなかった苦い経験からか、今大会の出場権獲得の際、全く表情を緩めることの無かった柳本。あくまで目標は「北京オリンピックでのメダル獲得」。北京では情報戦を制し、闘将がメダル獲得へと執念を見せる。

全日本女子のコート内外の大黒柱はキャプテン竹下佳江。2006年世界選手権ではMVPに輝き、世界が認めるセッターへと更なる成長を遂げた。大型化が進むバレーボール界にあって、159pと超小型のセッターながらその存在感がひときわ光っているのは、そのトス技術が他の追随を許さないレベルにあるからである。ボールの下に瞬時にもぐりこみ、意のままにトスを上げるスピードと正確さは天下一品。相手ブロッカーに的を絞らせず、日本のコンビバレーは竹下抜きでは機能しないといっても過言ではない。

オールラウンドプレーヤー高橋みゆきもチームに欠かせない存在である。190p台がずらりと並ぶ世界のアタッカーと比較すると170pはいかにも低い身長だが、スピードとテクニックでカバー、機動力を発揮して世界の大型アタッカーたちと互角に打ち合う。また、豪快なジャンプサーブは日本の得点源であり、正確なサーブレシーブは日本のコンビバレーの根幹を成している。相手ブロックを利用しブロックアウトを狙うスパイクは、世界から恐れられ、最もマークされている選手の一人だ。

リベロの佐野優子は前回アテネオリンピック世界最終予選を目前に、全日本メンバーから外された悔しい経験を持つ。その後単身でヨーロッパに渡り、レーシングクラブ ドゥ カンヌ(フランス)に所属。そこでレギュラーメンバーとして活躍した佐野は、2006年欧州チャンピオンズリーグベストリベロ賞に輝いた。2007年、再び全日本のリベロとして戻ってきた佐野。ヨーロッパで磨いた強打に対する抜群の読みと瞬発力を武器に、日本の緻密なコンビバレーを支える縁の下の力持ちとして実力を発揮する。

4年前のアテネオリンピック出場時は19歳だった栗原恵。怪我に苦しめられた時期もあったが、4年間で全日本のエースとして技術的にも精神的にも大きく成長した。一見線が細く見えるが、しなやかな反りから繰り出すアタックは鋭く、バックアタックの決定率も高い。サーブやレシーブなど、どのプレーにもバランスが取れており日本の攻撃の中心として活躍が期待される。

木村沙織はこれまでの日本女子バレーには類を見ない万能型の長身選手で、その可能性は計り知れない。アテネオリンピック以降、国際大会の経験を多く積み精神的な強さを増した。高さを生かしたアタック、ブロックはもとより、長身選手には苦手とされる守備の良さ、セッターもこなせる器用さを持ち合わせた逸材。

荒木絵里香は日本のセンタープレーヤーには珍しいパワーとスピードを兼ね備えた選手。速いトスのみならず高いトスを打ちこなす技量を持ち合わせ、破壊力のあるスパイクは日本人離れしている。北京オリンピック世界最終予選では、高さを誇るヨーロッパや南米の選手を退け、ベストブロッカーランキングで2位にランクインするなど、ブロックセンスの良さも光る。

男子代表チーム

全日本男子は2004年11月から植田辰哉監督体制がスタートした。植田監督は1964年7月25日生、東かがわ市出身。1987年大阪商業大学卒業後、新日本製鐵(現:堺ブレイザーズ)で選手(ポジションはミドルブロッカー)、監督として活躍。選手として日本リーグ(現:V・プレミアリーグ)時代に新人賞、ベスト6賞、スパイク賞、ブロック賞を受賞。Vリーグ(現:V・プレミアリーグ)時代にスパイク賞を受賞。

ナショナルチームでは1989年ワールドカップ(6位)、1990年北京アジア競技大会(3位)、1991年第6回アジア選手権 (優勝)、同年ワールドカップ(4位)、1992年バルセロナオリンピック(6位)に選手として出場。2003年には全日本ジュニア男子監督として指揮を執った。

2004年11月26日に全日本男子監督に就任した植田は、世界と戦える強靭な肉体と精神力を選手に求めた。強靭な身体を造るために、栄養士をスタッフに加え、食事から徹底的に管理した。体力強化指導の中心には長野オリンピック・ボブスレー日本代表として戦った経験のある大石博暁氏を迎え、選手達の身体を一から鍛えなおした。トレーニングの結果は目を見張るような体力測定の数字の伸びで現れ始め、ジャンプ力が10cmも伸びた選手もいた。その厳しいトレーニング、練習の先頭に立ちチームを牽引したのが、7年ぶりに全日本男子に復帰し、キャプテンの命を受けた荻野正二。植田はベテランの起用だけでなく、越川優、石島雄介といった伸びしろの多い若手選手も積極的に起用、経験と若さを融合したバランスの取れたチームを編成し、2005年のアジア選手権優勝、2006年世界選手権8位と徐々にランキングを上げ、世界との実力差を詰めた。2007年ワールドカップは9位と振るわなかったが、北京オリンピック世界最終予選では初戦イタリア戦での逆転負けで立ち込めた暗雲をその後の勝利で見事振り払い、16年ぶりとなる北京オリンピック出場を決めた。出場の喜びもつかの間、再び表情を引き締めた植田は、北京オリンピックの目標を「北京オリンピックでメダル獲得」と定め、悲願であったオリンピックの舞台に挑む。

全日本男子の精神的、技術的な大黒柱はキャプテンの荻野正二。38歳という年齢を全く感じさせないパワフルなプレーは若い選手に全く引けをとらない。スパイカーながら抜群のレシーブセンスを持ち、数多くのレシーブ賞受賞歴を持つ。スパイク、サーブ、レシーブの安定感は全日本でも随一。全日本の中で唯一オリンピック(1992年バルセロナ)を経験している選手。

スパイク、ブロックが決まる度に見せる、自分を鼓舞するかのようなガッツポーズが印象的な石島雄介。彼の存在なしに全日本の復活は語れない。日本人離れした筋肉質で大きな身体から繰り出される、ダイナミックなスパイク、サーブは外国人選手を吹き飛ばすほどの威力を誇る。身体の大きな選手ながら、サーブレシーブに安定感があり攻守に亘りプレーの中心を担う。競った場面での強気なプレーが信条。

石島がパワーならば、抜群のスピードを誇るのが越川優。ボールが目に見えないほどの速さで打ち込まれる高速スパイクは、相手ブロッカーの脅威となるだろう。時速120キロのスピードを誇るジャンプサーブは世界トップレベル。190cmの身長はウィングスパイカーとしては小型だが、越川は高さではなくスピードで世界と勝負する。

2001年から全日本の守護神として活躍するのは、リベロの津曲勝利。目立つ存在ではないが、津曲の実力は7年間全日本のリベロの座を誰にも譲り渡さなかったことで十分証明できる。どんなボールでも勢いを殺しセッターに返球する技術力の高さはもとより、いかなる場面でも冷静にプレーする精神的な強さも特筆すべき。日本の多彩なコンビネーションは津曲のレシーブから始まる。

前回のアテネオリンピック最終予選ではエースとしてコートに立ち、出場権を逃した苦い経験を持つのは山本隆弘。200cmの長身とサウスポーという二つの長所を活かしたスパイクは、世界トップレベルの攻撃力を誇る。2003年ワールドカップでは最優秀選手賞(MVP)に輝くなど確かな実力の持ち主だが、気持ちの弱さからか勝負のかかった大舞台では本来の力が出し切れず悔しい思いをしてきた。山本が活躍すればオリンピックでのメダルが見えると言っても過言ではない。リベンジを誓うエースの活躍に期待が集まる。

数十種類もある日本のコンビネーションバレーを操る司令塔は、セッター朝長孝介と宇佐美大輔。センター線を織り交ぜながら、丁寧なトスで攻撃を組み立て、思い切りアタッカーに勝負させる朝長に対し、宇佐美は高い技術力から生みだされるスピーディーなトスで相手ブロッカーの意表をつき、ブロックを外してアタッカーに打たせるのを得意とする。全く異なるスタイルの二人のセッターが交互にコートに入ることにより、チームカラーはその都度豹変する。どの試合にどちらのセッターが起用されるのか。セッターの起用が今大会の見所の一つと言えるだろう。