第29回オリンピック競技大会(2008/北京)

フェンシングのみどころ

日本代表選手団

日本のフェンシング競技の歴史

競技スポ−ツとしてのフェンシングが日本に伝えられたのは1932年(昭和7年)。フランス留学中にフェンシングを習得した岩倉具清が同年帰国後、同好の士を募り、この競技の普及を図ったのである。岩倉の呼びかけに応じ大阪YMCAを中心にして数人のグル−プができ、岩倉の指導を受ける傍ら原書を購入して研究するなど、本格的なフェンシング活動が始まった。やがて東京にも愛好家が増え、1934年、岩倉をリ−ダ−とする日本フェンシングクラブが結成された。これが日本におけるフェンシングクラブの始まりである。

1936年に開催されたIOC総会で、1940年のオリンピック開催地を東京とする決議がなされた。これを機に同年10月23日、曽我祐邦子爵を会長に大日本アマチュア・フェンシング協会が設立された。現在の社団法人日本フェンシング協会の前身であり、来るべき東京オリンピックに向け普及強化に取り組んだ。日本のフェンシング活動が本格化したのはこの時からである。残念ながらこの時は、日本が第二次世界大戦に突入したため、東京オリンピックは返上、協会も解散することとなった。

世界大戦が終了すると、国内でのフェンシング活動は素早く復活した。その中心となったのは剣道家たちだった。占領軍の指令により剣道、柔道といった日本古来の武術はその活動が禁止され、大学の剣道部員たちがそれに代わる剣技としてフェンシングに飛びついたのである。1946年8月、日本フェンシング協会が復活再建され、翌1947年、関東学生フェンシング連盟が結成された。大学リーグ戦が復活したのは1948年の春であり、同年10月には戦後第1回の全日本選手権大会が開催されている。1951年、FIEへの復帰加盟が認められた。国際舞台へのデビューは1952年、オリンピックヘルシンキ大会(スウェーデン)への視察員派遣である。1953年のブリュッセル(ベルギー)世界選手権大会と、ドルトムント(ドイツ)の国際学生スポーツ大会(ユニバーシアードの前身)に初の選手団を派遣した。オリンピックへの選手団派遣は1960年のロ−マ大会が初めてとなる。以来、北京大会に至るまで毎回欠かさずに選手団を派遣している。

1964年、オリンピック東京大会で日本は男子フル−レ団体4位入賞を果たした。

それから約40年間その時の成績を上回る結果を得られていなかったが、2004年から、協会の中に北京オリンピック強化委員会を立ち上げ、強化体制を整備した。また、強豪国旧ソ連邦のウクライナからオレグ・マツェイチュク氏を専任コーチとして招き、指導体制を整えた。定期的な練習会や年3回から5回の強化合宿などを重ねることによって、徐々に改革が軌道に乗りだした。

その結果は、2005年ユニバーシアード・イズミール大会(トルコ)で、男子フルーレ団体金メダル、女子サーブル団体銀メダル、女子フルーレ個人銅メダルという成果に結びついた。

さらに、2006年の世界選手権(トリノ・イタリア)では男子フルーレ個人戦で福田佑輔(警視庁)が地元イタリアの英雄に勝つ快挙を演じ8位に入賞。同年12月のアジア大会(ドーハ・カタール)では太田雄貴(同志社大学=当時)が日本勢として28年ぶりに金メダルを獲得。1月のワールドカップグランプリ大会でも銀メダルを獲得した。

太田雄貴、福田祐輔、そして千田健太(中央大学=当時)も、世界レベルの実力をつけてきたが、世界選手権やオリンピックでメダルを獲得するためには、さらなる強化の必要性があった。

そこで北京オリンピック強化委員会では北京での活躍が期待できる男女フルーレの7人に絞り北京オリンピックまでの「500日キャンプ」をスタートさせ、選手の宿舎をJISS(国立スポーツ科学センター)の近くに用意し練習環境整備を実現した。

そのための財源は、日本フェンシング協会の「サポーターズクラブ」を通じた協賛金による支援、また、国際競技会派遣に関しては日本オリンピック委員会(JOC)の強化費を得て確保した。

「500日キャンプ」には障害もあった。社会人についてはオリンピックまでの休職手続きが必要だったが、最終的には本人の強い希望と勤務先の理解、協力により本格実施にこぎつけることができた。

強化選手達はオレグコーチの指導の下、日々の体調管理と連動して密度の濃い練習体制の下におかれ、これが日本のフェンシング競技の歴史を塗り替える成績につながっていった。

各種目ごとに年間14回開催されるワールドカップの個人戦では太田が銀メダル3個、団体戦では太田、福田、千田、市川恭也(警視庁)の総合力で5大会出場中、金2個、銀1個、銅1個、そのほかも4位とすべての大会で入賞し、ワールドカップ団体の年間ランキングで世界一に輝いた。男子の成績に引き続いて女子フルーレ団体でも、ロシアグランプリ大会、世界選手権大会で銅メダルを獲得した。また、北京オリンピックには史上初の6種目(全種目)7名の選手が出場権を獲得した。もちろん、日本フェンシング界の始って以来の快挙であり、残る課題は悲願であるオリンピックでのメダル獲得である。

日本代表選手と今大会の見通し

今回の北京・オリンピックには次の7選手が出場する。(カッコ内は所属クラブ)

男子フル−レ:
太田 雄貴(京都クラブ) 2004アテネ大会に続き2度目

男子フル−レ:
千田 健太(宮城クラブ) 初出場(父親千田健一氏は1980モスクワオリンピック日本代表)

女子フル−レ:
菅原 智恵子(宮城クラブ) 2004アテネ大会に続き2度目

男子エペ:
西田 祥吾(鹿児島クラブ) 初出場

女子エペ:
原田 めぐみ(山形クラブ) 2004アテネ大会に続き2度目

男子サ−ブル:
小川 聡(ネクサス) 初出場

女子サ−ブル:
久枝 円(大阪市信用金庫) 2004アテネ大会に続き2度目

出場7選手で7つのメダルを獲得する可能性はどうか。目標はもちろん全員のメダル獲得であるが、中でも期待されるのが、フル−レの太田雄貴、千田健太、菅原智恵子、男子エペの西田祥吾である。この4名は年間の世界ランキングによって出場権を獲得しており、世界の強豪選手と肩を並べる国際競技力を持っている。また、女子サーブルの久枝円、女子エペの原田めぐみはアテネオリンピックの経験もあり、2度目のオリンピックでの活躍に期待したい。

魔物が住むと言われるオリンピックであるが、これまでの国際競技力を発揮してきた選手達に練習の成果を期待すると同時に、必ずメダルを獲得する気迫で臨んで貰いたい。

メダル争い

世界のフェンシング界は伝統的にフランス、ドイツ、イタリア等のヨーロッパ勢及び東欧諸国が強く、それに米国、中国、韓国がからむと言う図式で争われている。

団体戦出場国
(団体戦は女子フルーレ、男子エペ、女子サーブル、男子サーブルの4種目のみ)

女子フルーレ:1.ロシア 2.ポーランド 3.ハンガリー 4.イタリア 5.中国 6.ドイツ 7.米国 8.エジプト
 団体に強いロシア、ポーランド、に対し、世界ランキングトップの選手を率いるイタリアとの対戦に目が離せない。

男子エペ:1.フランス 2.ハンガリー 3.イタリア 4.ポーランド 5.ウクライナ 6.ベネゼイラ 7.韓国 8.南アフリカ 9.中国
 層の厚さでは、前回アテネで優勝したフランスであるが、現時点での世界団体ランキングは1位ハンガリー、2位イタリアとなっており実力も殆ど差がないことからどの国が勝ってもおかしくない状況にある。

女子サーブル:1.フランス 2.米国 3.ロシア 4.ウクライナ 5.中国 6.ポーランド 7.カナダ 8.南アフリカ
 米国、フランス、ロシアの三つ巴に、地元中国がどこまで対抗できるか。個人ランキング1位と2位の選手を率いる米国か、総合力で優れているフランスか、あるいは勢いに乗る若手選手集団のウクライナが注目される。

男子サーブル:1.フランス 2.ハンガリー 3.ベラルーシ 4.ロシア 5.イタリア 6.中国 7.米国 8.エジプト
伝統的に強いハンガリー、フランスにここ数年で力をつけてきた地元中国が注目される。